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by ritouki

澎湖島へ 2日目 その2

 市場での買い物を終え、家へ荷物を置くと、続いては近くのホテル「長春大飯店」へ向かいます。ホテルのオーナー、郭長流さんも黄天麟先生ご夫妻のいいお友だち。日本語族なので、日本語も達者です。昨夜、連絡をとった際には遅い時間だったので、改めて今朝お訪ねした次第です。

 聞くと、健康診断のため、お昼の飛行機で「台湾へ行く」のだとか。澎湖の人々は皆さん、台湾本島のことを「台湾」と呼ぶんです。
 澎湖へは台湾本島よりも早くに、中国大陸から人々が渡りはじめ、オランダやフランス、そして日本もいち早く目をつけていました。そのため、文化水準の向上も台湾本島より早く、澎湖人を誇りとする人々にとってはもしかしたら「澎湖が本家」という自負があるのかもしれません。(下の画像は台湾最古の廟である「澎湖天后宮」。海の守り神である媽祖を祀っています。古くは「媽宮(台湾語ではマークン)」とも呼ばれ、それが日本時代に「馬公」という地名になる元になりました。「打狗(台湾語でターカウ)」が「高雄」になったのと同じですね。文献によれば、1604年にはすでにこの廟が建立されていたとの記述があるそうですから、400年前にはもう廟が建立されていたことになります)。
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 出迎えてくれた郭さんは、ひとしきり日本時代の思い出話をされた後、一冊の本を取り出して見せてくれました。ちょっと古風に綴じられたノートに筆書きで何やらたくさん書いてあります。これは、郭さんのお父上が亡くなる前後に、その生い立ちを記して子々孫々まで残しておこうという意味で、郭さんが記述したそうです。
 後半には、ご自分のホテル経営に関して報道された新聞記事などがすべて綴じ込まれ、スクラップブックのようにもなっています。このノートによって、郭家の歴史が残されていくというわけですね。
 ちなみに郭さんのご子息は以前、東京大学に留学し修士号を取得。現在は国立台湾海洋大学の水産養殖学部で教授をされています。
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 さて、それではいよいよバイクを借りて澎湖の下見に出発。今日明日と時間が限られているので、まずは一番遠い、西嶼灯台(漁翁島灯台)を目指します。下の地図で言うと、オレンジ色の馬公市内を出発して北上、橋で繋がれた白沙島を経由して西嶼の先端へ向かいます。馬公市内から片道40キロ弱の道のりです。
 3つの島を結ぶ公共バス路線も存在しますが、時間がかかるうえ、バスでは行けない場所も多いのでバイクが一番便利です。

 また、バイクを借りる際には、「台湾の」免許証の提示が必要です。日本からの観光客の方には、交流協会やJAFで手続きをすれば台湾で運転出来る制度が整備されていますので、そちらをご利用下さい。
 台湾でも田舎の方へ行くと、台湾の免許証なしで貸し出してくれることもありますが、万が一、事故を起こした際、保険の適用が受けられないばかりか、処罰されますのでくれぐれもご注意ください。
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 それでは一路、西の端っこへ。市街地をあっという間に飛び出し、県道203号線をひたすら走ります。道は結構広く、交通量も少ないのでまるで高速道路のよう。
 両側には畑が広がりますが、そこには一面「銀ネム」と呼ばれる草が鬱蒼と生い茂っています。パッと見には、まるでアメリカの原野の光景みたいです。後で天麟先生に聞くと、この草は戦後に持ち込まれたもので、夏は緑色なのでまだマシだけど、冬になると枯れて灌木のようになり、荒涼とした風景を生み出します。農家の人にとっては雑草なのでこの上ない迷惑な存在だとか(台湾にとっての国民党と一緒ですね)。

 そういえば、澎湖ではお店やレストランに「菊島○○」などと名付けているのをよく見かけます。昔、澎湖には島中に菊の花(日本の菊とはちょっと異なり、色が濃くてむしろガーベラに似ている「天人菊」。現在では澎湖の県花になっています)が咲き誇っていたため、澎湖のことを「菊島」とも称しました。ただ、現在では銀ネムの影響で、菊の存在が脅かされ、かなり減ってしまったようです。

 そうこうしているうちに、まずは馬公と白沙島を結ぶ「澎湖跨海大橋」を通過。まっすぐの道路がどこまで続きそうです。夏は最高の景色でしょう。これは、白沙側から撮影したものですが、この左手はるか先には風力発電の風車が澎湖の強風を受けてたくさんまわっています。
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 バイクは快調に飛ばし、馬公を出発してから1時間程度で西嶼島の西端へ到着。ちょっと道を間違えたりしながらも、遠くに「西嶼灯台」が見えてきました。

 ところがところが・・・ここでトラブル発生。灯台の手前には軍の施設があり、バリケードが置かれています。不審に思いながら(思われながら?)、近づいていくと、門のところで警備の兵隊さんが出てきました(ライフル持ってます)。

 ちょっと怖気づきながらも「灯台を見に行きたいんですけど・・・」と尋ねると、若い兵隊さんは「ここは立ち入り禁止ですよ。灯台へ行くならちょっと戻って小道を左へ入って下さい」と教えてくれます。「はて、そんな道あったかな?」と思いながらもUターン。随分手前のY字路を入ってからはずっと一本道だったため、そんな脇道は見当たりませんでした。
 かなり手前まで戻ったにもかかわらず、小道が見つからないので、とりあえずは先に「西嶼餌砲」の見学に行くことにします。
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 「餌砲」とは文字通り、餌=おとりにする大砲を意味します。つまり、このコンクリート製のニセ大砲、傍から見ればただのハリボテですが、飛行機で上空から見れば、まるで大砲が鎮座しているように見えるため、米軍にとってはクワバラクワバラ、という訳です。レーダーや偵察衛星技術の発達した現在では意味をなさないかもしれませんが、第二次大戦中はけっこう威力を発揮したとか。Googleマップで見た上空からの航空写真、確かに大砲が置いてあるように見えます。

 こちらの「西嶼餌砲」、小道の横に看板が立っているものの、道端から眺める限りは何も見えず、野原の道なき道を数百メートル歩かないとたどり着けません。近くには、同時期に使われていたと思われる見張り小屋が廃墟と化していました。ここは港を見下ろす高台に位置するので、眼下に広がる漁港と海を見渡すことが出来るのです。

 さすが澎湖は海に囲まれ、海と共に生きる島だけあって、家々に埋もれるように廟が鎮座しているのが至るところに見られます。祀られている神様の中で特に多いのが、漁業や航海の守り神である媽祖。危険と隣り合わせの海と共に生活する澎湖の人々の信仰が垣間見られる景色です。
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 先ほど入口まで行った軍の施設が遠くに見え、レーダーが回っているのが分かります。本来ならば、あの施設の向こう側に「西嶼灯台」が見えるはずで、この後、小道を行きつ戻りつ、若い兵隊さんの教えてくれた「脇道」を探すのですが、どうにも見つからず。観光客がほとんど来ないこの時期にカメラをぶら下げた日本人があっちへウロウロこっちへウロウロ、どう考えても怪しい・・・。拘束されても困るのと、「西嶼灯台」はどうしても下見しなければならないものではないため、諦めて次のスポットへ向かうことにします。
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 ただ、もったいないので、ここで「西嶼灯台(漁翁島灯台)」の紹介だけ。西嶼灯台の建設は清朝時代の1778年(乾隆43年)。国定古跡(二級)の指定を受けていますが、灯台としての役割は今も続いています。
 雨こそ降らないものの、毎日が曇り空で風も強いこの季節では望むべくもありませんが、北風が止む4月頃からは、この場所から地平線に沈む美しい夕焼けを愛でることが出来ます。

 この西嶼の夕日は清朝時代の「台湾八景」の一つにも選ばれています(日本時代の「台湾八景」とは異なります)。
 「台湾八景」がいつから巷間に伝えられたのかは定かではありませんが、初めて文献に登場したのは清朝時代の1694年(康熙33年)に著された『臺灣府志』とされ(1696年/康熙35年という説もあり)、以下の8つです。

1 安平晚霞(台南/夜の安平港)
2 沙鯤漁火(台南/沙鯤から見える漁火)
3 鹿耳春潮(台南/鹿耳門にたゆとう春の潮)
4 鶏籠積雪(鶏籠とは現在の基隆/雪を戴く大屯山)
5 東澳暁日(「東溟」とは清朝時代、諸羅縣と称された、現在の嘉義あたりを指すとされていますが、実際にどの場所なのかはよく分かっていないとか。一説には、次の句の「西嶼」と対比させるための想像上の場所、とも言われています。ただ、嘉義近辺での暁日=朝日といえば、すぐに思い出すのが阿里山のご来光ですね)
6 西嶼落霞(澎湖/西嶼の夕日)
7 斐亭聴濤(台南/台湾府城の斐亭で聞こえる潮騒)
8 澄台観海(台南/台湾府城の澄台から眺める海)

 8つのうち、台湾本島が7つをしめ、その中でも「鶏籠積雪」以外はすべて台南の風景です。これは当時、都が台南に置かれていた関係とされています。【参考文献『清代台灣八景與八景詩』劉麗卿/文津出版/台北市/2002年】

 それでは気を取りなおして次のスポットへ行きましょう。
 続いての下見は「西台古堡(西嶼西台とも呼ばれます)」。ここはいわば要塞で、清仏戦争終結後の1887年ごろ、清の李鴻章が台湾巡撫(知事のようなもの)として配下の劉銘傳を派遣し、近海に出没する海賊取り締まりのために築いたものです。入り口にある「西嶼西臺」の文字は李鴻章の揮毫によるものだとか。

 石で造られた要塞にはトンネルが「山」の字型に張り巡らされ、海を見下ろす高台には大砲が据え付けられていました(現在はもちろん模造品です)。この要塞は、指揮官や兵が寝起きする宿舎や司令塔を兼ねるとともに、弾薬や兵器の貯蔵庫としても使われていました。最大で5,000人が駐留していたこともあるとか。戦闘が始まれば、兵たちはトンネル内に籠って銃眼から射撃したり、大砲を撃ったりするわけです。現在では国定古跡(一級)の指定を受けています。
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 西台古堡を後にして、続いてはいよいよランチです。朝が早かったのと、バイク移動とはいえ、なんだかんだで動きまわったのでお腹が空いてきました。お目当ては「清心飲食店」。誰に聞いても「ここだけは行っとけ!」と言われた伝説(?)のレストランです。場所は、馬公側から見ると、白沙島から西嶼島へ渡ってしばらく進んだ右手。大きな看板が出ているので余程のマヌケでない限り見つけられます。

 到着したのは13時すぎ。2階へ上がって注文。胡椒エビやエビの天ぷらはプリプリ!そして「海鮮チャーハン」の美味たること得も言われず。海鮮たっぷりに加え、しっかりとした味付けでペロッと食べちゃいました。そして最後は「魚丸湯(つみれのスープ)」。これも海鮮のダシが出ていて最高、締めにピッタリです。
 そして案の定、食べるのに夢中で料理の写真を撮るのをすっかり忘れて完食。ふと見ると、店内の柱も貝殻で装飾されていました。

 階下には、著名人がこの店を訪れた際の写真がズラリ。中でも目をひくのは蒋経国・元総統。蒋経国はこの店がお気に入りで、澎湖を訪れた際には必ず立ち寄ったとか。また、この店のオーナー、呂九屏さんが澎湖の新鮮な食材を送った返礼の総統箋も飾られています。宛て名は「呂酒瓶さんへ」。オーナーの名前「九屏(ジョウピン)」の発音は「酒瓶」と同じため、「酒瓶さん」と呼ばれて親しまれているそうです。
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 さぁ、お腹もふくれたので、外は寒いけど再び出発。続いては「大菓葉の柱状玄武岩」へ向かいます。清心飲食店からバイクで10分弱。分かりにくい看板に騙されそうになりながらも到着。見上げるような玄武岩の柱は確かに圧巻です、、、が、なんだかちょっと違う。というのも、ガイドブックや地図などに掲載されている写真では、岩の前のくぼみに雨水がたまり、その水面に玄武岩が映し出されて幻想的に見えるというもの(逆さ富士のような感じ)。でもまぁ、分別のある大人なので現実はこんなもの、と分かってます。ただ、玄武岩と遠くに霞む海が同時に飛び込んでくる風景は圧巻です。
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 これで西嶼島部分の下見は終わり。次は白沙島の下見へと移ります。
 帰り途に見つけたのは、廟とセブンイレブンが隣同士で建っているというシュールな光景。裏を返せば、廟がそれだけ澎湖の人々の日常に根付いているということでしょうか。
 ちなみに、澎湖のコンビニはセブンイレブンしかないそうです。
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 ここで後日談。「ガイドブックやインターネットでもたくさん紹介されているのに、どうして『西嶼灯台』へたどり着けなかったんだろう???」ということで、調べてみたら判明しました。航空写真で見てみると一目瞭然!真ん中の建物が軍事施設です。私たちはバイクで右側から一本道を軍事施設に向かってやって来ました。そして、施設の入口で「ここじゃないよ」と言われてUターンしたのです。ところで、軍事施設の上部に「へ」の字のように土色の轍がついているのが見えますか?恐らくはこれが灯台へと繋がる小道。事実、轍は左側の灯台入り口までしっかり繋がっています。なーんだ「脇道」ってこんな近くにあったんですね。兵隊さんに怖気づいて逃げるようにUターンしたのが敗因だったのかも。
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by ritouki | 2011-03-03 19:39 | イベント