台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

第15回・日本李登輝学校台湾研修団 2日目

 今日は台湾新幹線に搭乗して南下、一路台南を目指します。
 5月8日は烏山頭ダムを築いた八田與一技師と外代樹夫人の命日。研修団では、昨年に引き続き、ダムのほとりの墓前で挙行される慰霊祭に参列しました。

 台湾新幹線を嘉義駅で下車し、バスに乗り換えて烏山頭へ。高速道路を利用すれば40分ほどで到着します。駅には慰霊祭参加者のための無料シャトルバス案内の看板がありました。
 
 今年は奇しくも慰霊祭が週末と重なったこと、八田與一記念公園の落成式典も同時に行われることなどから、かなりの参列者が見込まれているそうです。

 午前の記念公園落成式典には馬英九総統や、日本から来賓として森喜朗元総理ら25名の国会議員も参列していました。馬総統がスピーチの中で、「私は『反日』ではなく『友日』です」と2度も言及したことは、テレビのニュースでも繰り返し流されています。後ろめたいところがあるからこそ2度も言ったんじゃないか、と訝しがってしまいますが。

 それはさておき、一行はまず、嘉南大圳設計会が運営する「八田技師紀念室」へ。館内には八田與一にまつわる数々の資料や写真が展示されています。また、その業績や関係者のインタビューをまとめたDVDの日本語版を鑑賞しました。
 
 自由見学のさなか、あるお婆さんが参加者の一人に話しかけて来ました。日本時代、内地留学(東京)していたというお婆さん、八田與一の功績や、烏山頭のおかげで農業が発展し、台湾の人々が彼に感謝していることなど、か細い声ながらもで懸命に話してくれました。

 話しかけられた高橋俊一さんは宮城県石巻市からの参加。経営していたコンビニが土砂で営業不能になってしまったけれども、多額の義捐金や多量の支援物資を寄せてくれている台湾の方々に、直接御礼を申し上げたいと、無理を押して参加して下さいました。付添いの方によれば、このお婆さんは台南市選出の陳淑慧・立法委員のお義母さんでした。
b0199170_353497.jpg


 その後、慰霊祭会場近くの西拉雅ホテルへ移動して昼食。すると突然、台南市の頼清徳市長が登場。日本からの出席者が来ていると聞いて、わざわざ足を運んでくれたそうです。

 頼市長は4月22日から、姉妹都市である仙台市を訪問し、台南市民を中心として集められた義捐金1億8千万円あまりを贈呈しています。前仙台市長の梅原克彦氏が本会常務理事を務めている縁もあり、研修団参加者の前でスピーチして頂きました。頼市長は、今月中にも観光復興支援のため、訪問団を率いて再度日本へ赴かれるそうです。また、烏山頭ダムの世界遺産登録も積極的に進めており、今後も頼市長の手腕に期待したいところです。
b0199170_2047342.jpg

b0199170_353671.jpg


 昼食後は慰霊祭に出席。会場には蔡焜燦先生や許世楷・前駐日大使をはじめ、多くの見知った方々が集いました。本会研修団のメンバーは、李登輝民主協会の蔡先生らとともに献花し、夫妻の遺徳を偲びました。

 太陽が照りつける午後2時から始まった慰霊祭も、涼しい風が吹き始めた4時ごろには閉会。最後に、遺族を代表し、八田夫妻の六女、茂子さんからの挨拶がありました。

 「今年80歳になる私は、石川県出身となっていますが、実際はダムが完成した後、台北で生まれ育ちました。ですから、台湾は私にとって故郷だと思っております。墓前祭が行われていることを聞き、昭和42年以来、何度か足を運んでおりますが、来るたびに盛大になっているように思います。皆さんが父をこんなにも慕って下さることに感謝しております」と述べられました。
b0199170_3525939.jpg

b0199170_3525773.jpg

 研修団一行はこの後、台南空港から澎湖島へと移動しますが、駆け足で八田與一記念公園を散策。およそ2億元を投じ、八田夫妻が暮らした家や隣組までが、その当時の場所そのままに復元されています。また、屋内の家具は、当時、実際に使用されていたものを、八田技師の故郷金沢で公募、選定し、わざわざ台湾へと運びこんだそうです。

 復元の指揮を執ったのは、建築史家の堀込憲二先生(中原大建築系副教授)と奥様の郭中端先生(台湾を代表する女性建築家、早稲田大学で建築を学ぶ)。お名前は存じ上げていましたが、散策中に偶然お目に掛かることが出来ました。

 ご夫妻は、この記念公園整備のため、遺族から提供された写真を検証したり、実際に金沢へ数回足を運んだりして、当時の図面そのままの忠実な再現を目指したそうです。完成には2年の歳月が掛かりましたが、堀込先生曰く「こうした復元工事としては異例の早さ」だとか。というのも、この公園整備は馬総統が提言したもので、”完成したときに総統じゃなくなっていたら手柄にならないから”ということで、間に合うように尻を叩かれた、と苦笑されていました。

 そしてもう一つ驚かされたのが、こちらの「八田路」。今般の記念公園完成と同時に隣接する道の名称が改められました。面白いことに併記されている英文が、日本語読みの「Hatta」と振られています。他に日本語の発音が使われている例は寡聞にして知らないのですが、台南市政府の力の入れようが分かります。

 5月の青空に鯉のぼりがたなびき、夕暮れの気持ち良い風が吹き抜けていきます。

 台湾でその名が広く知られ、知名度としてはいわば日本へ「逆輸入」されたかたちの八田與一ですが、この記念公園の完成によって、修学旅行や研修旅行など、日本人が八田技師の業績や日台関係の緊密さを学ぶスポットになってくれることを祈ります。

 惜しむらくは、個人旅行で訪れる場合、新幹線駅からの公共交通がまだ未整備なところでしょうか(現在ではタクシー利用が一般的)。今後の整備に期待したいところです。
b0199170_353317.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-08 19:31 | イベント