景美人権文化園区
2012年 06月 28日
台北市内の景美にある「景美人権文化園区」へ行って来ました。
現在では廃止されましたが、ここは白色テロの時代、泣く子も黙る警備総司令部の「景美看守所」として政治犯を収容する監獄でした。
もともとは1957年に軍法学校のキャンパスとして設立されましたが、後に軍法学校が移転すると、国民党政府は1968年、白色テロを推進する中心的存在の警備総司令部軍法処、看守所、国防部軍法局などの部門をこの場所へ移転させました。そして政治犯や犯罪を犯した軍人を収容する監獄として機能させたのです。
1970年代に国防部軍法局が移転、1992年に警備総司令部も動員戡乱時期臨時条款の撤廃に伴って廃止されると、その後は軍の施設として使われていましたが、2002年、行政院文化建設委員会の決定により人権記念エリアとして保存されることになりました。ただ、現在でも敷地内にある兵舎の一部は現役で使われています。
敷地内、メインとなる建物は「仁愛楼」。この中に、政治犯を収容する監獄、面会室、警備室、売店、録音室など、あらゆる施設がありました。参観者はすべてのエリアを見学することが出来ます。
仁愛楼に入ってすぐ左手にあるのがこの警務室。壁に掛けられた手錠や足枷が恐怖を煽ります。
その隣には録音室。面会室で交わされる政治犯と面会者との会話はすべてこの部屋で録音・盗聴され、会話内容が「不適切」と判断された場合は即刻面会中止とされました。
面会に訪れる人々は、この窓口で手続きをし、差し入れなどの登録をします。ガラスと鉄格子ごしで仕切られ、横に電話が置かれた面会室で待っていると、政治犯が連れて来られます。会話は監視のため、電話ごしでなければ話せないようになっています。面会時間は10分間と決められていました。
監獄へ向かう廊下は、いくつもの鉄柵で仕切られており、脱獄逃亡を幾重にも防いでいます。中は6畳ほどの広さで何もないコンクリートに板を敷いただけの空間で、隅にむき出しの便所があります。何もかも緑島の政治犯収容所とそっくりです。
中庭には、週に2、3回だけ収容者が身体を動かせるスペースがありますが、壁には至るところに鉄条網が張り巡らされ、監視塔によって見張られています。身体を動かせるのは15分間だけでした。
わずか20年ほど前まで、台湾では政治犯の収容が公然と行われ、無実の罪でここ景美や緑島に捕らわれていた人々がたくさんいました。李登輝総統の時代に入り、やっと国民党の黒い歴史にピリオドが打たれましたが、現在でもその被害全容は判明していません。また、実際に白色テロによって人生を台無しにされた人々の数も年々減少しています。それに反比例し、白色テロの歴史を知らない若い世代の数がどんどん増加しています。国民党の恐ろしさ、中国人の恐ろしさを知らない世代が増えるのはもっと恐ろしいことです。