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by ritouki

岩里武則君(李登輝元総統の御兄上)、海軍志願兵合格

 明日は67回目の8月15日。
 九段の杜は、両親兄弟や祖父母、戦友たちに会いに来る遺族や、靖国に眠る英霊に鎮魂の祈りを捧げる人々で今年も賑わうことと思います。

 靖国神社には、第二次世界大戦末期に日本兵として出兵し散華された、およそ2万8千柱の台湾人日本兵の英霊も祀られています。
 そのなかに、李登輝元総統の御兄上である李登欽さん(日本名:岩里武則)も祀られていることは近年とみに知られるようになりました。

 2000年に総統を退任後、訪日を希望していた李登輝元総統でしたが、そのたびに日本政府の弱腰や中国政府の妨害など、様々な制約によってビザが発給されない事態が発生しました。
 それでも、2001年には心臓病治療のため関西へ、2004年末から2005年にかけては家族とともに名古屋や京都などを観光のため来日を実現させました。
 そして2007年、東京を訪問し、長年の念願だった「奥の細道」を訪ねる旅へ。その旅の途中、6月7日午前10時すぎ、ついに靖国神社で御兄上と62年ぶりの再会を果たしたのです。

 作家の故上坂冬子さんが李登輝ご夫妻の来し方をテーマに著した『虎口の総統 李登輝とその妻』によれば、兄の李登欽さんは、警察官だった父親のあとを継ぐかのように警察学校に入りましたが、のちに進路を変えて志願兵になったのだとか。

 李登輝元総統も当時を述懐して「私が学徒兵として台湾の高雄高射砲部隊に配属になった1944年に、兄は左営の海軍基地に初年兵として配属されていたので、二人で高雄の町で会って写真を何枚も撮ったのが最後になりました」と語っています。
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 その李登輝元総統の御兄上、李登欽さんが海軍志願兵に応募して合格した際、台湾日日新報の取材を受けた記事が残っていました(昭和18年9月22日付)。
 記事によれば、李登欽さんは、奥さんとまだ幼い子供たち二人を残して海軍に志願したようです。当時、夥しい数の人々がこうして戦地に赴き、命をなげうったからこそ、現在の我々があることを忘れてはなりません。

 海軍志願兵となった李登欽さんは、記事が掲載された翌10月、高雄の左営にある「台湾総督府海軍兵志願者訓練所」に入所し、1944年(昭和19)4月には左営海兵団へ。そして7月には海軍の機関兵として南洋へ出発し、翌1945年(昭和20年)2月15日、ルソン島マニラ市で散華され「海軍上等機関兵 岩里武則」として靖国神社に祀られています。

 明日は8月15日、英霊の方々に感謝と祈りを捧げる日です。
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宿願實現、感激に戰く
 (◯は字が潰れて判読できなかった箇所)

 岩里武則君(二二) 臺北市下奎府町四丁目=武則君は大正十年臺北州三芝庄新少基隆に出生、淡水で高等小學校卒業後家業を手傳つてゐたが昭和十七年八月臺北州巡査を拝命、北署管内太平町三丁目の派出所に勤務する明朗溌剌な青年巡査であるが、海兵第一番乘りの喜びを下奎府町の自宅に訪へば武則君は妻女奈津惠さん(二二)、愛兒美智子ちやん(四つ)、憲昌ちやん(二つ)の◯で感激の面持で次の如く語つた。

 私が海軍特別志願兵を受驗した時から必ず合格すると信じてをりました。しかしそれが本當に實現してこんなに嬉しいことはありません。勿論銃後にあつて治安保護の戰士としてお國に盡すこともご奉公ですが、出來る事なら第一線でお國のために華華しく活躍したいと思つてをりましたがそれが本當になりました。しかも無敵帝國海軍の一員として名譽ある軍艦旗の下で米英撃滅に働くことが出來るのです。自分としてこんな感激に◯つた日は今日までありません。これからは立派な帝國海兵としてお役に立つ日の一日も早く來ることを願ふばかりです。
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by ritouki | 2012-08-14 18:14 | イベント