台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

「火焼島之旅 2012白色之道青年体験キャンプ」3日目

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 緑島で迎える3日目。実はこの活動に参加を決めたものの、実際に参加する際にはちょっと緊張していました。台湾に住みついてまる5年。台湾の人々の、どこから湧いてくるのか分からないほどの優しさ、外国人だろうがなんだろうが異質なものを異質なものと思わず受け入れて接してくれる懐の深さを知ってはいるため、心配することはないだろうと思う反面、やはり知らない人の間に飛び込んでいくのは緊張でした。

 ただ、船に乗って緑島へ到着し、歩いて「緑洲山荘」へ向かっているときには、まだグループ全体にぎこちない緊張感があったものの今や昔。夜になってシャワーの順番待ちをするころには、もはや同級生とともに過ごしているような気持ちになったものです。

 今朝は7時起床で朝食。昨日の6時起床に比べれば甘いものです。サンドウィッチの朝食をそこそこに済ませ、8時からは「緑洲山荘」内にある通称「八卦楼」と呼ばれた監獄を見学します。正式名称は「国防部緑島感訓監獄」ですが、上から見ると監獄が監視しやすいように「八卦」のような放射線状に伸びていたため「八卦楼」と呼ばれたということです。
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 監獄は一部屋が10畳ほど。一角に便器が置かれ、この狭いなかに20名以上の政治犯が押し込まれていました。新入りの寝る場所は便器の隣と決まっており、寝ているときには小便の飛沫が顔にかかることもあったとか。こうした経験を話してくれたのは陳欽生さん。マレーシア育ちの台僑で、成功大学の学生だった22歳のとき、台南にあった米国新聞處によく足を運んでいたことから目をつけられ、国民党にしょっぴかれ、緑島で12年を過ごしました。
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 昼食を挟み、午後は陳儀深・中央研究院近代史研究所副研究員や、白色恐怖の被害者である黄廣海さんから話を伺います。
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 黄さんは広東生まれの外省人。1950年に国民党とともに中国大陸から撤退し、台湾へ逃げこんできました。空軍に勤務していたとき、当時の国策ともいえた「一年準備、二年反攻、三年掃蕩、五年成功」という大陸反攻のスローガンはまるっきりデタラメだということを悟ります。そのことを香港にいた友人へ送った手紙のなかで度々言及していたことから1954年7月「人心を撹乱させた」罪で無期徒刑の判決を受け、緑島で21年を過ごしています。

 白色恐怖の嵐のなかで、このように被害に遭った外省人が少なくないことはあまり知られていないのではないでしょうか。特に、日本人にはほとんど知られていないように思います。というのも、私自身の経験からいっても、台湾の戦後史を生半可に学ぶと「外省人は加害者で、本省人は被害者」というステレオタイプに陥りやすいからです。

 白色恐怖の被害は単純な見方だけでは捉えきれません。国民党に楯突く人間は、台湾人・外省人・高砂族を問わず、いわば誰でも被害者になりうる可能性があります。そして、被害者本人はもとより、家族、職場、友人という具合に、複層的に拡がっていくのです。

 外省人と一口にいっても、大陸から台湾へ逃げこんできた人間のなかには、私腹を肥やす本当のワルと、野良仕事のさなか拉致同然に引っ張られていつの間にやら台湾へ連れてこられ、何十年も故郷へ帰れなかった人もいます。あまつさえ、黄さんのように、白色恐怖で緑島へ20年以上もぶち込まれ、出獄後は結婚もせず、家族もおらず、一人で暮らしている人がいるのも事実です。これもまた、外省人=悪という単純な考え方では捉え切れません。

 先週、本会主催の「基隆・金瓜石をめぐるツアー」を行った際、日本時代の基隆中学出身の方々からお話しを聞く機会に恵まれました。
 日本が大東亜戦争に敗れて中華民国がやってくることになり、皆さん港へ歓迎のため、中華民国旗を持って出掛けたそうですが、アメリカの軍艦から降りてきた中華民国の兵士たちは破れ傘に天秤棒、鍋やかんをぶらさげて、うつろな目でふらふら歩いてきたそうです。
 それまで、日本の兵隊のまがりなりにもゲートルを巻いて整列し行進する姿を見慣れていた基隆中学の皆さんは「巷では台湾は祖国に復帰したと言ってるが、これはもっとひどい時代が来るにちがいない」と感じたことを異口同音に話してくれました。

 こうした台湾の人々が感じた不安は後に現実のものとなり、むしろ想像以上の恐怖社会が出現しました。彼らが見た中華民国のみすぼらしく統制のない姿もまた事実であったことでしょうが、そうした下級兵士のなかには、後に自らが所属していた国民党独裁体制のなかで白色恐怖の被害に巻き込まれていった人も存在したのが事実なのです。

 単純な見方すなわちステレオタイプでは、とても白色恐怖というテロリズムを理解することは出来ないと改めて感じました。
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by ritouki | 2012-09-02 23:17 | イベント