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by ritouki

「台湾に残る日本 一考」

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 つい数日前、台湾総督府(現台湾総統府)や台湾総督官邸(現台北賓館)の全館開放日に合わせ、参観に行って来ました。恥ずかしながら、台湾総督官邸は初めての見学。しかし、そこには日本時代の重厚な、荘厳な、国家の威信を文字通り体現した異世界が広がっていました。

 総督府の設計は長野宇平治がコンペに提出した案に、森山松之助が修正を加えたものになりました。長野は日銀本店などを手掛けた建築家、森山は白アリ被害で改修を余儀なくされた台湾総督官邸の改修設計をはじめとして、台湾各地の庁舎を多数手掛け台湾建築界の旗手となっていきます。そして、この二人とも先ごろ復刻されて話題となった東京駅を設計した明治の大建築家、辰野金吾の愛弟子なのです。

 総督府や官邸にかぎらず、台湾にはいたるところに日本時代の建築物が現役で、もしくは用途を変えることで新たな生命を吹き込まれ、今日も活躍しています。古き良き面影を残す建物を大切に守り、今日も使い続けてくれている台湾の人々に感謝することは言うまでもありません。しかし、その一方で、戦後台湾を占領統治している中華民国政府の統治の仕方にも目を向けなければなりません。

 逆説的に言えば、蒋介石一派が「大陸反攻」をスローガンに、中国大陸をいつの日か奪還する夢物語のなかで台湾占領を行なってきたために、台湾は一時的に羽を休めるだけの補給地にしか過ぎず、台湾の発展をこれっぽっちも考えなかったことが、日本時代の建築物がこれだけ残された原因のひとつになっているのは間違いありません。

 戦後の国民党政府には、台湾を発展させるだけの余力がなかったともいえるでしょう。あらゆる財源を「大陸反攻」のために注ぎ込んだため、新たな建設が出来ず、ちょうどいいから残っている建物を利用したという言い方もできます。

 李登輝元総統が地方視察の際に「大陸反攻のため、国民党はあまりにも中央集権化してしまい、地方の疲弊はかなりひどい」と漏らしたのも、当時の影響が未だに残っている表れでしょう。

 また、首都台北に地下鉄(MRT)が初めて開業したのが1996年です(木柵線)。同じく「アジアの4小龍」と呼ばれた香港は英国統治時代の1979年、韓国のソウルは1974年、シンガポールは1987年と、一番遅いシンガポールに比べてもかなり開きがあることが分かります。また、タイのバンコクに地下鉄が開業したのが2004年ということを考えると、人口250万の台北でこれだけ公共交通機関の整備が遅れたというのは、やはり前述したとおり、国民党政府が台湾の発展に本腰を入れていなかった証左ともとれるのではないでしょうか。

 先日開催された「片倉佳史さんと行く台湾ツアー」では、新竹編として新竹神社跡を訪れました。戦後、この場所は中国からの難民や密入国者を収容する施設として使われ、現在では、主に東南アジアからの不法滞在者が収容されています。

 神社が不法滞在者収容施設になってしまったことも驚きですが、片倉さんの説明によると、中国人の思考は至極「合理的」であり、この場所に以前なにがあったか、は問題ではなく、使えるのであれば使う、という割り切られた考えの持ち主だとか。

 つまり、今日の台湾で私たち日本人が無性に郷愁を感じる赤レンガの総督府をはじめ、数多くの日本時代の建築物が残されているのには、中国人の合理的な考え方と、蒋介石一派の「とにかく中国大陸を取り返すんだ、台湾なんか腰掛けなんだからどうだっていい」という徹底的にエゴイスティックな思想も大きな要因の一つになっているのだと思うのです。
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by ritouki | 2012-10-16 15:06 | イベント