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by ritouki

曾野綾子さんの「私日記」から思う

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 8月6日、曾野綾子さんは産経新聞の「正論」欄で「私は一人の台湾人のために靖国神社に参る」と書きました。この記事については、当日のブログでも紹介しました

 曾野さんが書いた「私は一人の台湾人のために毎年靖国に参る。その方は、当時日本人としてフィリピンで戦い、日本人として戦死し、その遺体さえついに待ちわびる父母の元に帰らなかった。その父は、最期まで長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかった」という内容は、読む人が読めば李登輝元総統一家のことを指しているとわかるものでした。

 そしてやはり曾野さんはPHPの月刊誌『Voice』に連載の「私日記」で同様のことを記されていました。8月15日の日記が掲載されたのは10月10日発売の11月号。購入したはいいものの、忙しさにかまけ、今になってやっとページを開きました。
 8月15日の箇所には「(前略)私は岩里武則というお名前の台湾人のご家族の代参のつもりもかねている」と書かれています。
 靖国神社に祀られる岩里武則命は台湾名が李登欽、まぎれもなく李登輝元総統の御兄上です。当時は李元総統ご自身も岩里政男という日本名をお持ちでした。

 「最期まで長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかった」というお父上の李金龍さんは、1995年(平成7年)4月19日早朝、台北市内の仁愛病院で李元総統ご夫妻ら家族に見守られながら98歳でこの世を去りました。故郷の三芝では90歳を過ぎてもなお公益関連の事業に熱心で、地元の名士として慕われていたということです。
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 その李金龍さんは1991年(平成3年)3月、95歳のときに日本を訪れています。それから数えること16年後の2007年6月8日、奥の細道を歩くため訪日された李元総統は日光へ。歓迎会場となったレストラン「明治の館」には栃木県日台親善協会(当時)の計らいにより、16年前に日光で歓迎された御父上の写真が飾られており、李元総統もしばし見入っていました。
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 スピーチに立った李元総統は「親父が日光を訪れた時は90歳を過ぎていました。私はまだ90歳になっておりませんよ。まだまだ歩けます!また来ます!」と力強く語り、会場から万雷の拍手を浴びていたことを覚えています。

 日光を訪れた前日の6月7日、李元総統は曾文恵夫人、孫娘の李坤儀さん、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席、三浦朱門・曾野綾子ご夫妻を伴い、靖国神社を参拝。60数年ぶりにフィリピンで散華された御兄上と再会されました。
 そして翌日には、御父上が元気で日光を訪問された際の写真をご覧になりました。御父上、御兄上と、すでに世を去った肉親の面影に深く思いを馳せられたことと思います。

 李登輝元総統は、来年1月15日で90歳を迎えます。講演や視察に同行しても、声色はパワフルで足腰もまだまだお元気そう。仄聞するところによると、再びの訪日を熱望されているとか。訪日が実現する暁には、お身体にご負担のかからないよう配慮することはもちろんですが、静かな環境で日本を堪能していただけるよう、日本側も抑制した対応をしていかなければならないでしょう。
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by ritouki | 2012-10-31 02:06 | イベント