台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

名古屋商工会議所の皆さんが「日本精神」を学ぶ研修ツアー その1

 名古屋商工会議所の若手メンバーで構成される「若鯱会」の皆さんが、30周年記念事業の一貫として「台湾の歴史から学ぶ『日本精神』ツアー」を開催。2泊3日の予定で30人ほどが今日から台湾入りしました。

 聞けば、7月9日に若鯱会主催で金美齢先生をお招きしての講演会。その際、若鯱会が毎年海外研修を行なっていることに触れ、「だったら今年は台湾に行きなさい!」と鶴の一声ならぬ「金の一声」で台湾研修が決まったそうです。

 そうした経緯もあり、ツアー催行を本会系列の共栄ツアーズが請け負うこととなったため、私もスタッフとして皆さんに同行させていただくことになりました。

 事前に送られてきた名簿を拝見すると、今年の委員長には望月さんという見覚えのあるお名前。もう7年以上前、私がまだ金美齢先生の秘書だった頃、名古屋の青年会議所の方が講演依頼のためにオフィスにお見えになったことを思い出しました。通常、講演依頼はまずお手紙やメールなどでお問い合わせいただき、打ち合わせのためにオフィスへお越しいただくことも多いのですが、2度3度とわざわざ名古屋からお運びいただいたので余計印象に残っていたのかもしれません。その方のお名前が望月さん、下のお名前も珍しかったので恐らくご本人だろうと思いつつ桃園空港へお迎えにあがりました。

 ゲートから出てきた若鯱会の皆さんご一行を無事にお迎え。和服姿の望月さんからは「ご無沙汰しております」と声を掛けていただき、やはりご本人。望月さんも私のことを覚えていてくださったようです。

 バスに乗車し、一行は最初の研修場所である北投温泉の「日勝生加賀屋」へと向かいます。言わずと知れた石川県和倉温泉の名旅館が初めて海外進出したのが、ここ台湾の加賀屋ですが、今日は加賀屋誘致の牽引役で、実質的に切り盛りされている董事の徳光重人さんから1時間にわたり、加賀屋にまつわる経験談をお話しいただきました。

 商工会議所のメンバーは皆さん、中小企業の経営者やそれに近いポジション、士業など独立したオフィスをお持ちの方々で構成されています。業種は変われど、同じ経営者としての立場から、徳光さんのお話しを興味深く聞かれているようでした。

 徳光さんのお話しは、ご自身が駐在で台湾にやって来たものの、2003年にはSARSの影響を受けて撤退が決まるも、台湾に残ることを決意するところから始まりました。独立して台湾に残ったはいいものの、SARSの影響が尾を引くなか、思い通りにビジネスが進まず苦悩しているところへ、台湾の企業から「ホテル誘致」の話が持ち上がったということです。

 そこで当時から○○年連続日本一の看板を有していた加賀屋を台湾へ誘致しようと考え、企画を持ち込んだところトントン拍子に進出が決定。日本の加賀屋はバブル後の不景気を、台湾からの宿泊客にずいぶん助けられたことから、台湾に恩返ししたいという思いもあったそうです。
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 ところが、建築デザインに対する考え方や、ちょっとした行き違いで計画はたびたび頓挫。建築が始まってからも、厳格な設計デザインにより、建築材料を日本から取り寄せるなどしたため、工期は遅れに遅れ、オープンまで6年を要したとか。

 また、オープンしてからも、人材育成や従業員教育の面では台湾と日本の大きな違いを感じるなど、日々苦労しながら今日までやって来られたエピソードを、ユーモアを交えながらお話しいただきました。

 通常、1泊2日の宿泊(夕食、朝食付き)で、安くても一部屋につき室料5万円程度〜7万円ということですが、台湾だけでなく香港などからも、毎月通ってくる常連さんがいらっしゃるそうです。

 その後、館内を見学し、加賀屋を後にしました。

 続いては台北市芝山巌にある「六士先生の墓」を訪ねます。芝山巌は日本時代「台湾教育発祥の地」として知られていました。

 日清戦争の結果、清朝が日本に台湾を割譲したのが1895年(明治28年)5月。早くも翌月には、当時文部省学務部長心得の任にあった伊沢修二が台湾へ渡り、この芝山巌の地に「芝山巌学堂」を開いたのが日本統治下における台湾教育の嚆矢とされています。

 しかし、伊澤が日本内地へ帰国中の1896年(明治29年)1月1日、元旦の拝賀式に出席するために芝山巌を下山していた6名の教師が、未だ鎮圧されていなかった抗日匪賊に襲われ遭難。同行していた用務員を含む7名が惨殺されました。

 その後、抗日匪賊が未だ跋扈する危険を顧みず、台湾の教育に殉じた犠牲的精神を顕彰するため「六士先生の墓」が建てられ、伊藤博文の揮毫による「学務官僚遭難之碑」も建てられました。

 また、1930年(昭和5年)には、この地に「芝山巌神社」も創建され、ふもとから本殿跡へ続く長い階段は、数年前に森喜朗元首相が訪台した際、李登輝元総統とともに上がられました。李元総統は当時を懐かしがって「私は平気で上がったんだけど、森さんは身体が大きいからヒイヒイ言いながらだったなぁ」と笑い話をされることがあります。

 戦後、ご多分に漏れず、墓や石碑は国民党によって横倒しにされたり破壊されたりしましたが、民主化の波とともに、台湾の教育に命をかけた「六士先生」に再びスポットが当てられ、墓や碑の修復が行われました。

 一行は六士先生の墓に線香を手向け、献花して先人の偉大な精神に敬意を評しました。
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 また、芝山巌神社の境内があった場所には、前述の通り、伊藤博文揮毫の「学務官僚遭難之碑」と戦後に建てられた石碑が左右に建てられています。
 「学務官僚遭難之碑」はもちろん日本時代、台湾の教育に命を捧げた六士先生を顕彰するもの。もう一つの石碑は、戦後の国民党時代に建てられたもののため、六士先生を襲った匪賊を「義賊」として称える内容が記載されています。
 ある一つの出来事も、「書き手が誰か」によって見方が変わることを示す好例です。
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 夜は台北市日本工商会にご協力いただき、名だたる企業のトップの方々を交えての晩餐会。皆さんお忙しいところにお出掛けいただき、台湾在住の日本人としての視点や、企業トップとしての意見などをお話しいただき、有意義な会になったことと思います。

 バスは士林夜市経由でホテルへ。朝早くからの始動だったようですが、研修は2泊しかないため、皆さんエネルギッシュに台湾を満喫されています。
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by ritouki | 2012-11-01 23:57 | イベント