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by ritouki

金美齢先生の新刊『夫への詫び状』

 最近、ふとしたきっかけで、台北の日本人学校に通う中学生の国語教科書を手にとる機会がありました。そのなかで目にとまったのが三浦哲郎の「盆土産」という文章。私が中学生のときにも教科書に載っていた記憶があります。

 都会に出稼ぎに出ている父親が、盆休みの帰省土産として冷凍のエビフライを携えて帰って来ます。エビフライが傷まないように、夜行列車に揺られながら、眠りを寸断して何度もドライアイスを取り替える父親の、子供たちに美味しいエビフライを食べさせてやりたいという愛情を感じる一方、初めて口にするエビフライの美味の記憶がないまぜになった主人公の子供は、再び都会へ戻る父親を見送る際、「さよなら」でもなく、つい「エビフライ」と言ってしまうお話し。聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 そして、もうひとつが向田邦子の「字のないはがき」。本土空襲で一家もろともやられるよりは、と末娘を疎開に送り出した父は、まだ字の書けぬ妹に大量のはがきを持たせ「一日一枚、元気だったら○を書いて出しなさい」と言いました。しかし、当初元気だった○は次第に小さくなり、やがては×に。数週間後には体調を崩し、はがきも届かなくなります。母に迎えられて東京に帰ってきた妹を、はだしで飛び出して迎え、家族に初めて男泣きの姿を見せた父の愛情を綴ったエッセイです。

 向田邦子といえば、皮肉にも、1981年8月に台湾は苗栗県上空で発生した航空機事故により、その短い生涯を終えました。「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など、飄々とした筆致のなかに、家族の情愛や懐かしい風景を切り取った文体が爽やかで、私も大好きな作家の一人です。

 そんな向田邦子の代表作が『父の詫び状』。保険会社の上役だった父は、毎夜のごとく取引先や部下を自宅へ連れ帰り、家族を巻き込んで接待させました。ある冬の朝、前夜の客が粗相した後を黙って始末した主人公(向田邦子)に対し、数日後に下宿先へ手紙が届きます。性格同様、四角四面の文面に続き、最後に「この度は格別のお働き」と書かれ、横に朱で丸がつけてあったとか。向田邦子は当時を懐かしみ、これこそが昔気質で素直に感情を出せなかった父の、せめてもの「詫び状」だったのだろう、と述懐しています。

 前置きが長くなりましたが、今日の話題は金美齢先生の新刊『夫への詫び状』(PHP文庫)。2007年に出版された『夫婦純愛』のリメイク版です。
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 金先生の最愛の夫、周英明先生が亡くなったのは2006年のこと。私が台湾留学のため、金先生の秘書を辞してから1年半も経っていませんでした。時折り新宿御苑のオフィスに現れる周先生は、いつも片手にビニール袋が。袋の中身はオレンジや、京王百貨店に入っているフォションで購入したブールなど。どれも金先生の朝食には欠かせないもの。時にはお孫さんに食べさせようと、たくさんの果物を両手に抱えてくることもありました。少しお腹の出っ張った周先生が抱えている袋の中のものは、いつも自分ではなく愛する人のための品物が入っていました。

 周先生は見るからに温和で知的で、金先生に言わせると、まさに「教師になるために生まれてきた人」。学生が分からないところは、何度でも根気よく繰り返し説明する姿は、当時はまだ小さかったお孫さんたちにとっても偉大な先生でした。

 テレビや講演会での「辛口」評論が代名詞となった感のある金先生ですが、夫である周先生は常に笑顔絶やすことなく、妻である金先生がテレビに雑誌に活躍することを手放しで応援し続けたそうです。

 ただ、金先生に言わせると、周先生も相当の頑固者だそうで、だからこそ、国民党によるブラックリスト解除後も「中華民国のパスポートを使ってまで台湾に帰るつもりはない」と頑なに「国民党的なもの」を拒んだというのもうなづけます。そんな周先生も2000年に民進党の陳水扁総統が誕生し、政権交代がなされると、ついに40年近く留守にしていた台湾の地を踏みました。決意させたのは、民進党の勝利直後、台湾からかかってきた一本の電話だったとか。「台湾はもう変わった。こだわりは一旦うち置いて帰ってくればいい」と言って、周先生の背中を押したのが蔡焜燦先生だったそうです。

 周先生がオフィスに電話をしてくると「家内をお願いします」。でも、直接金先生に呼びかけるときは「ママ」。金先生も私たちには「まったく、今朝も周先生がうんたらかんたら・・・」と言いますが、周先生には「パパ」と呼びかけていました。時には「そんなキツイ言い方しなくても」と思うような場合でも、周先生は決して怒ることもなく常に笑顔でした。単なる夫婦というかたちだけでなく、台湾独立運動の同志でもあり、30年以上にわたる日本でのブラックリスト生活のなかで育まれた絆は、普通の「夫婦」や「家族」という言葉だけでは到底表現出来ないものだったことは容易に推察出来ます。

 周先生が亡くなってから早くも6年。代々木上原の斎場で行われた葬儀には、長い長い献花の列が続き、愛してやまなかった孫娘たちが号泣する声だけが響いていたのを覚えています。葬儀が終わり、数ヶ月後に送られてきた「会葬御礼」と書かれた封筒の中には、当時発刊されたばかりの『夫婦純愛』。まさに金先生と周先生の二人三脚を振り返るに相応しい一冊でした。

 今般、その『夫婦純愛』がリメイクされ『夫への詫び状』としてPHP文庫から発刊になりました。テレビの画面を通して見た辛口版(?)金先生の素顔、いつもどこでも「連れ合い」と呼び、愛してやまなかった夫・周先生への思い。自分自身「私は奔放で自由に生きてきた」と断言する金先生も、無限の愛で金先生を守り続けた周先生あってこそ。

 向田邦子の父は、手紙のなかで娘に対するその愛情を表現しましたが、金先生もこの本を通じて、周先生へのめいっぱいの愛情と素顔をさらけ出しています。お二人の愛のかたちをぜひお読みください。
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by ritouki | 2012-11-08 03:19 | イベント