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by ritouki

新渡戸稲造の軽井沢夏期大学講義録

 李登輝元総統は今年1月21日、高雄日本人会・高雄日本人学校の招きにより、「新渡戸稲造と私」と題する講演を行いました。

 「台湾糖業の父」とも言われる新渡戸稲造がいなければ、台湾とくに南部高雄の今日の発展はなかったであろうという観点から新渡戸の業績を讃えると同時に、ご自身と新渡戸の出会いについても語っています。

 以下、ご自分と新渡戸の出会いについて語った部分をご紹介します。

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 台北高等学校在学中、トマス・カーライルの『衣服哲学』を英語の原書で読まされるという授業がありました。日本語訳を少しだけ引用してみましょう。

 「このようにして『永遠の否定』は、私の存在の、私の自我の、隅々まで命令するように響き渡っていたが、私の全自我が神に創造された本来の威厳を備えて立ち上がり、力強くその抗議を述べたのはその時だったのである。」

 日本語訳でも非常に難解な文章ではありませんか。しかし当時、「自我」や「死ぬということ」について答えを求め続けていた私には、その大意がじんじんと身に沁みて来るのを感じたのです。もっともっと深く知りたいという衝動に駆られた私は、台北市内の書店や図書館を歩きまわり、内外の関連書を読みあさりましたが、「これは」というものに出会うことが出来ず途方にくれていたのです。

 そんなある日、台北市内で最大の公立図書館で偶然に手にとったのが一冊の講義録でした。かつて台湾総督府に在籍し、台湾の製糖業発展に多大な貢献をした新渡戸稲造による講義録です。

 新渡戸は毎年夏、台湾の製糖業に従事している若きエリートたちを軽井沢に集めて特別ゼミを開いていたことがあり、その中心教材としてカーライルの『衣服哲学』が取り上げられていたのでした。すでに黄色く変色したその「講義録」を手にした時、私は思わず飛び上がって喜びました。そして、何度も何度も読み返しているうちに、原書では十分に咀嚼しきれなかった「永遠の否定」から「永遠の肯定」への昇華を明確に理解していくことが出来たのです。

 懇切丁寧な講義録を精読することにより、私が少年時代から常に見つめ続けてきた自分の内面にある「人間はなぜ死ぬのか」「生きるとはどういうことなのか」というメメント・モリ、つまり死生観に対する苦悩が氷解していきました。

 この時、新渡戸稲造という日本人の偉大さに心底感服したことを覚えています。そしてこの感激は私自身の進路にも大きな影響を及ぼしました。

 1942年の春、かつて新渡戸が専攻していた「農業経済」という新しい学問分野を私も究めてみたいと望むようになり、迷うことなく進学先を京都帝国大学農学部農林経済学科と決めたのです。

 大学進学と前後して、新渡戸の農業経済学における代表的論文『農政講義』をはじめ、あらゆる著書や論文を洗いざらい読み込みましたが、その過程で、ついに出逢ったのが、国際的にも大きな評価を得ている『武士道』でした。これにより、私はよりいっそう新渡戸稲造に心服するようになりました。

 「日本人は如何にして道徳教育を施しているのか」という問いに答えるかたちで日本人の精神を解き明かした『武士道』の著者が、その一方で、西洋哲学の大家による難解な哲学書を解き明かしていることに大きな度量の深さを感じ、まさに「国際人」として新渡戸が持つ世界の広さに感銘を受けたのでした。

 その意味で、後藤新平が私にとって「リーダーとしての先生」であるならば、新渡戸稲造は「人生の先生である」と言えるでしょう。
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 この講演原稿のなかで言及されている「ある日、台北市内で最大の公立図書館で偶然に手にとった一冊の講義録」というのが、昭和13年に研究社から出版された「新渡戸先生講演 衣服哲学」なのです。

 編者である高木八尺・東京帝国大学教授のまえがきによれば、軽井沢夏期大学と称したセミナーにおける講義速記録を文字に起こしたものということです。

 当時の価格は2円、奥付には著作権者として新渡戸の養女、新渡戸琴子の名前が見えます。
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by ritouki | 2014-04-07 19:10 | イベント