台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

<   2011年 05月 ( 19 )   > この月の画像一覧

 昨日夕方、台南空港からプロペラ機で澎湖入りした研修団一行。
 今日午前の講義は、いつも経済をテーマにした講義をお願いしている黄天麟先生と「澎湖の生き字引」林麟祥先生にご登場いただいた。実は黄天麟先生は澎湖のお生まれ。しかし、島に中学校がなかったため、台南二中進学。そのため「澎湖島には昔の記憶しかない」のだとか。林先生は澎湖生まれの澎湖育ち。戦後一貫して澎湖県政府に勤務し、県長(県知事)秘書室長も務められました。定年後はラジオ局の社長などを歴任し、現在でも「日本からのお客さんがあると、必ず私が呼ばれる」という澎湖の生き字引的存在です。
b0199170_21142894.jpg

b0199170_21141992.jpg

 講義が終わると、黄先生は急いで台湾本島へ戻らなくてはならないためにここでお別れ。澎湖島を巡る野外研修には林先生にご同行をお願いしている。

 野外研修のスタートは「おとり大砲」と呼ばれる西嶼餌砲。コンクリートで作られたハリボテ大砲でうが、上空から見ると大砲に見えます。今も昔も澎湖は要衝の島。現在の澎湖にも軍が駐留して台湾海峡を見守っています。
b0199170_21184832.jpg

 その後、海鮮料理で有名な「清心飲食店」で昼食。その後、火山の隆起によって作られた自然の作品「大菓葉柱状玄武岩」を見学します。今回の参加者には若い女性が目立ちました。
b0199170_21185520.jpg

 その後「西嶼西台」→通梁の巨大ガジュマル→「龍門裡正角日軍上陸紀念碑」の順に見学。
 龍門の日本軍上陸記念碑は戦後、ご多分に漏れず国民党によって表面の碑文が削られ「臺灣光復紀念碑」と刻まれてしまいました。さらに、碑は右側に移され、元の碑の位置には小さな土地公廟が建てられたそうです。
 しかし、民主化の波が押し寄せるとともに自由にものが言える次第となったことで、郷土の歴史改竄に対する抗議の声が地元民からあがり、もともと碑のあったところに本来の碑が復元されました。
 脇の小道を海辺へ下りていくと、右側に土地公(その土地を守る神様)が祀られていました。林さんによれば、これがもともと碑のあったところに祀られていた土地公なのだそうです。こういう情報はさすがにその土地の方でないと分かりません。また、3月に下見に来た際はこの土地公の廟の存在に気付かなかったのでした。
b0199170_21184943.jpg

 続いて林投の日本軍上陸記念碑→「軍艦松島殉職将兵慰霊碑」「フランス軍萬人塚」「オランダ要塞跡」→第一貴賓館→観音亭を見学。そして夜には海辺での花火を楽しみ、盛りだくさんの澎湖研修の夜が更けていきました。
[PR]
by ritouki | 2011-05-09 23:52 | イベント
b0199170_5111343.jpg

 第15回・李登輝学校台湾研修団の野外研修として、八田與一ご夫妻慰霊祭に参列しました。
 まず初めに、八田與一技師の業績や資料を公開した「八田技師紀念室」を訪れましたが、昨年はなかった「新商品」を発見!なんと、八田技師の銅像を再現したレプリカです。ご丁寧にメモクリップも付いています。

 日本時代の金属供出を逃れた八田銅像でしたが、戦後の白色テロの時代にも、日本時代の痕跡の徹底的な排除を進めた国民党による撤去の恐れがありました。地元水利組合の有志が、撤去を逃れるために倉庫に数十年も隠し続けていたエピソードは有名です。台湾の人々の八田技師に対する想いに心打たれた日本人は少なくありません。

 銅像の色合いといい、細部の再現といい、かなり丁寧に作られたものに見えます。これで200元はお値打ち価格。お土産にもピッタリのオススメ品です。研修団のメンバーにも飛ぶように売れ、こちらにあった分は完売。別の場所にあった在庫を届けてもらうほどでした。

 ただ一点、苦言を。
 このレプリカ、「中国製」となっています。日本と台湾を結ぶ絆の象徴とも言える八田與一のレプリカ、せめて台湾で作ってもらえませんか?
b0199170_5111549.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-08 23:10 | イベント
 今日は台湾新幹線に搭乗して南下、一路台南を目指します。
 5月8日は烏山頭ダムを築いた八田與一技師と外代樹夫人の命日。研修団では、昨年に引き続き、ダムのほとりの墓前で挙行される慰霊祭に参列しました。

 台湾新幹線を嘉義駅で下車し、バスに乗り換えて烏山頭へ。高速道路を利用すれば40分ほどで到着します。駅には慰霊祭参加者のための無料シャトルバス案内の看板がありました。
 
 今年は奇しくも慰霊祭が週末と重なったこと、八田與一記念公園の落成式典も同時に行われることなどから、かなりの参列者が見込まれているそうです。

 午前の記念公園落成式典には馬英九総統や、日本から来賓として森喜朗元総理ら25名の国会議員も参列していました。馬総統がスピーチの中で、「私は『反日』ではなく『友日』です」と2度も言及したことは、テレビのニュースでも繰り返し流されています。後ろめたいところがあるからこそ2度も言ったんじゃないか、と訝しがってしまいますが。

 それはさておき、一行はまず、嘉南大圳設計会が運営する「八田技師紀念室」へ。館内には八田與一にまつわる数々の資料や写真が展示されています。また、その業績や関係者のインタビューをまとめたDVDの日本語版を鑑賞しました。
 
 自由見学のさなか、あるお婆さんが参加者の一人に話しかけて来ました。日本時代、内地留学(東京)していたというお婆さん、八田與一の功績や、烏山頭のおかげで農業が発展し、台湾の人々が彼に感謝していることなど、か細い声ながらもで懸命に話してくれました。

 話しかけられた高橋俊一さんは宮城県石巻市からの参加。経営していたコンビニが土砂で営業不能になってしまったけれども、多額の義捐金や多量の支援物資を寄せてくれている台湾の方々に、直接御礼を申し上げたいと、無理を押して参加して下さいました。付添いの方によれば、このお婆さんは台南市選出の陳淑慧・立法委員のお義母さんでした。
b0199170_353497.jpg


 その後、慰霊祭会場近くの西拉雅ホテルへ移動して昼食。すると突然、台南市の頼清徳市長が登場。日本からの出席者が来ていると聞いて、わざわざ足を運んでくれたそうです。

 頼市長は4月22日から、姉妹都市である仙台市を訪問し、台南市民を中心として集められた義捐金1億8千万円あまりを贈呈しています。前仙台市長の梅原克彦氏が本会常務理事を務めている縁もあり、研修団参加者の前でスピーチして頂きました。頼市長は、今月中にも観光復興支援のため、訪問団を率いて再度日本へ赴かれるそうです。また、烏山頭ダムの世界遺産登録も積極的に進めており、今後も頼市長の手腕に期待したいところです。
b0199170_2047342.jpg

b0199170_353671.jpg


 昼食後は慰霊祭に出席。会場には蔡焜燦先生や許世楷・前駐日大使をはじめ、多くの見知った方々が集いました。本会研修団のメンバーは、李登輝民主協会の蔡先生らとともに献花し、夫妻の遺徳を偲びました。

 太陽が照りつける午後2時から始まった慰霊祭も、涼しい風が吹き始めた4時ごろには閉会。最後に、遺族を代表し、八田夫妻の六女、茂子さんからの挨拶がありました。

 「今年80歳になる私は、石川県出身となっていますが、実際はダムが完成した後、台北で生まれ育ちました。ですから、台湾は私にとって故郷だと思っております。墓前祭が行われていることを聞き、昭和42年以来、何度か足を運んでおりますが、来るたびに盛大になっているように思います。皆さんが父をこんなにも慕って下さることに感謝しております」と述べられました。
b0199170_3525939.jpg

b0199170_3525773.jpg

 研修団一行はこの後、台南空港から澎湖島へと移動しますが、駆け足で八田與一記念公園を散策。およそ2億元を投じ、八田夫妻が暮らした家や隣組までが、その当時の場所そのままに復元されています。また、屋内の家具は、当時、実際に使用されていたものを、八田技師の故郷金沢で公募、選定し、わざわざ台湾へと運びこんだそうです。

 復元の指揮を執ったのは、建築史家の堀込憲二先生(中原大建築系副教授)と奥様の郭中端先生(台湾を代表する女性建築家、早稲田大学で建築を学ぶ)。お名前は存じ上げていましたが、散策中に偶然お目に掛かることが出来ました。

 ご夫妻は、この記念公園整備のため、遺族から提供された写真を検証したり、実際に金沢へ数回足を運んだりして、当時の図面そのままの忠実な再現を目指したそうです。完成には2年の歳月が掛かりましたが、堀込先生曰く「こうした復元工事としては異例の早さ」だとか。というのも、この公園整備は馬総統が提言したもので、”完成したときに総統じゃなくなっていたら手柄にならないから”ということで、間に合うように尻を叩かれた、と苦笑されていました。

 そしてもう一つ驚かされたのが、こちらの「八田路」。今般の記念公園完成と同時に隣接する道の名称が改められました。面白いことに併記されている英文が、日本語読みの「Hatta」と振られています。他に日本語の発音が使われている例は寡聞にして知らないのですが、台南市政府の力の入れようが分かります。

 5月の青空に鯉のぼりがたなびき、夕暮れの気持ち良い風が吹き抜けていきます。

 台湾でその名が広く知られ、知名度としてはいわば日本へ「逆輸入」されたかたちの八田與一ですが、この記念公園の完成によって、修学旅行や研修旅行など、日本人が八田技師の業績や日台関係の緊密さを学ぶスポットになってくれることを祈ります。

 惜しむらくは、個人旅行で訪れる場合、新幹線駅からの公共交通がまだ未整備なところでしょうか(現在ではタクシー利用が一般的)。今後の整備に期待したいところです。
b0199170_353317.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-08 19:31 | イベント
b0199170_5444679.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-08 05:43 | イベント
 第15回・日本李登輝学校台湾研修団が今日から始まりました。11日までの5日間、淡水の群策会での講義をはじめ、野外研修として明日8日には台南で行われる八田與一ご夫妻慰霊祭に参列したり、澎湖島を訪れるなど従来以上に充実した研修になる予定です。

 昼の便で台湾入りした参加者の皆さんが淡水に集結。早速、群策会の王燕軍・秘書長の挨拶で始業式が始まります。ただ、ここで一つ残念なお知らせが。最終日に特別講義をしていただく予定だった李登輝元総統が、肺炎のため入院されたとのこと。このため、今月いっぱいのスケジュールはすべて白紙とされたため、李登輝元総統の代わりに作家の黄文雄先生が特別講義をされるとのこと。残念ですが、李登輝元総統にはまだまだお元気でいていただかなくてはなりません。一日も早いご回復をお祈りします。

 始業式後、早速ひとつ目の講義は私の国際法の恩師でもある李明峻先生(新台湾国策シンクタンク副主任)による「台湾と国際情勢」。李先生は京都大学出身で、台湾では学術界のみならず、テレビのコメンテーターなどでも活躍されています。
b0199170_264617.jpg

 講義では、「国際法上、台湾の地位については数多くの解釈がある。例えば、国連参加の条件である”主権国家”の定義についても諸説あって定まっていない。ならば、まずは台湾の国連加盟をまず達成し、その後、主権国家と認められるよう努力すべき」など、現実的な主張が多かった。
 これは、机の上だけで国際法や国際政治を論ずるのではなく、現実に即したかたちに国際法を応用し、李先生ならではの、台湾の主体性を堅持させるためのアイデアといえよう。

 本日の講義はひとコマでおしまい。
 終了後、ホテルそばの海鮮レストラン「海中天」へ移動して晩餐会。こちらには、李先生のほか、特別ゲストとして昨日、日本から帰って来たばかりの阮美[女朱]さんにも出席いただきました。

 母の日の前夜ということもあり、レストランは大賑わい。美味しい海鮮に舌鼓を打ち、飲んで食べての第一夜は更けていきました。
 明日は野外研修のため、台南で八田與一ご夫妻慰霊祭に参列した後、澎湖島へ向かいます。
[PR]
by ritouki | 2011-05-07 23:06 | イベント
b0199170_2582131.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-04 09:58 | イベント
b0199170_302834.jpg

 台北のとある場所にあるレストラン。
 レストランなのに「taverna(タベルナ)」とはこれいかに。実はイタリア語でレストランとか食堂の意味だそうです。
[PR]
by ritouki | 2011-05-03 17:59 | イベント

迷いオウム

b0199170_20294532.jpg

 「茶葉を買う」だけでなく、公私ともどもお世話になっている「和昌茶荘」。このお店の前には看板娘ならぬ「看板オウム」がいるのですが、今日お邪魔したらなんともう一匹増えていました。
 張さんに聞いたら、ふらふらと迷いこんできた「迷いオウム」だとか。看板オウムが2匹に増えました!

 ※一週間後にお邪魔したらもういなくなっていました。飼い主が見つかったんだとか。
[PR]
by ritouki | 2011-05-02 20:29 | イベント
b0199170_5432188.jpg

[PR]
by ritouki | 2011-05-01 05:43 | イベント