台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

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原発視察へ

 来台視察中の新潟県柏崎市議会議員一行は、今日午前、台北北部の石門にある「第一核能發電廠」つまり第一原発を視察しました。

 昨日は台湾団結聯盟を訪れ、原発反対派との討論会。午後から台南に移動して学生たちとの交流会を行い、最終の新幹線で台北に戻って来ましたが、この原発視察が一番の目的。朝早くに台北を出発しました。
 残念ながら原発内では一切の撮影禁止でしたが、台湾電力側から台湾における原発の現状を説明してもらい、日本の原発行政の参考になったようです。それにしても、原発用語の通訳は難しい!
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 台北への帰路、ちょっとだけ時間の余裕があったので、三芝に立ち寄りました。ここは李登輝元総統の生まれ故郷。現在でもその生家「源興居」が残されています。生家の前には大きなガジュマルの木が。生家は観光スポットともなっているため、ガジュマルが作り出す木陰でお土産を売っているのです。
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 余談ですが、三芝が生み出した三大偉人がいます。一人はもちろん李登輝元総統。
 二人目は、台湾人初の医学博士である杜聡明。京都帝国大学医学部出身で台北帝国大学医学部教授に就任、戦後は国立台湾大学医学部部長を務めたり、高雄医学大学を設立するなど、台湾の医学界に大きく貢献した人物。
 三人目が江文也。日本時代に活躍した音楽家・声楽家ですが、ちょっと知名度は低いか。
 ともあれ、この三芝の地が偉大な足跡を残す人々を輩出したことは間違いないようです。
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by ritouki | 2011-10-28 20:25 | イベント

澎湖島の風力発電を視察

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 新潟県柏崎市の市議会から台湾の原子力発電や風力発電についての視察団が来台しています。メンバーのうち、三井田先生はすでに何度も来台されており旧知の仲。

 今回は澎湖島の風力発電から台北北部の石門にある第一原発の視察までアテンドすることになりました。

 昨日午後に到着した視察団一行と松山空港で待ち合わせ、風が強くなり始めた澎湖へとやって来ました。さっそく、夜はおなじみの長進餐廳で海鮮を堪能。

 そして今日は朝から澎湖中屯風力発電所を見学。離島ということで、本島から海底ケーブルで電線を引くにはかなりのコストと時間がかかるところ、風の強い気候を逆手に取り、冬には風力発電でかなりの発電量があるそうです。

 その後、県政府に王乾発県長(県知事)を表敬訪問。震災に対する義援金の御礼を申し上げた後、日本の原発の現状や澎湖の風力発電を視察する目的などを説明しました。
 
 夕方には台北へ戻ります。
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by ritouki | 2011-10-26 21:05 | イベント
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 今日の午後、台北市内のホテルで黄文雄先生の新刊『哲人政治家 李登輝の原点』中国語版の新書発表会が行われました。中国語版の出版は前衛出版社です。
 発表会にはもちろんモチーフとなったこの方も奥様と一緒に出席。
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 会では、蔡焜燦先生、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席、許世楷・前駐日大使ご夫妻、羅福全・元駐日大使ご夫妻、黄昆輝・台湾団結聯盟主席ら錚々たる顔ぶれが揃いました。
 また、会場入口付近に設けられた即売コーナーでは新刊が飛ぶように売れていきました。
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 そして、いよいよモチーフとなったご本人が登場。会場からの大きな拍手に迎えられ、20分ほどの演説を大迫力で行いました。
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by ritouki | 2011-10-24 19:23 | イベント

ウイグルのお友だち

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 日本ウイグル協会のイリハム・マハムティ会長や台湾在住のチベット運動家タシ・ツリン氏を囲む食事会にお声を掛けていただきました。
 会場は兄弟飯店、蔡焜燦先生のホームグラウンドです。今宵はほかにも呉阿明・自由時報会長や許世諧・前駐日大使ご夫妻、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席、日本から同行してきた黄文雄先生など、錚々たるメンバーが顔を揃えました。
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by ritouki | 2011-10-21 23:40 | イベント
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 今夜は天母にある台湾料理レストラン「興蓬莱」で食事。
 このレストランを訪れるのは2回目です。前回は、黄文雄先生が『哲人政治家 李登輝の原点』のインタビューで李登輝元総統の自宅を訪問した際、夜はこちらに移動して元総統ご夫妻ともどもテーブルを囲みました。

 李登輝元総統のお気に入りは甘しょっぱいタレで味付けされたスペアリブと佛跳牆(ぶっ飛びスープ)。店内にも「李登輝さんのお気に入り」と大きな看板が掛けられています。

 お店はMRT淡水線の石牌駅からタクシーで10分ほど、天母ロータリーのすぐそばです。
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by ritouki | 2011-10-19 21:59 | イベント
 12月に行われる台湾感謝イベントの準備で来台しているトニータナカさんとともに、台中へ出掛けて来ました。主な目的は、 許世楷・前駐日大使と盧千恵夫人を訪問するためでしたが、聞くところによると、どこか面白いところへ案内してくれるとか。
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 台中市内のど真ん中、台中公園で待ち合わせた一行は、まず大使ご夫妻の案内で台中公園を散策。お二人とも台中の出身ですから案内はお手のものです。その後、宝覚寺を参拝し、ご住職にもご案内いただきました。
 トニーさんも30年以上前に初めて台湾へ来た時に、台中へ来たことがあるとか。台北から乗ったタクシーの運ちゃんが「徹夜マージャンで眠くて運転できないから、代わりに運転してくれないか」と言われ、トニーさんがタクシーを運転、運ちゃんは後部座席で寝ていたそうです。

 その後、ご夫妻のお宅にもお邪魔させていただいた後、一行は新社郷にある「白冷圳」へと向かいます。新社は台中市内から1時間弱、シイタケの養殖で有名な山間の村です。

 曲がりくねった山道を走り、着いたのは送水管が見える小高い公園。一見、何の変哲もない送水管ですが、ここには日本と台湾の絆ともいうべきエピソードが隠されていたのです。
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 盧千恵夫人が書いたエッセイが簡潔にそのエピソードをまとめられているので下記にご紹介します。


 「盧千恵のフォルモサ便り」白冷圳誕生80周年 新社台地に根付いた友情

 先日、江口克彦先生を団長に、みんなの党の8人の方たちが、台湾訪問の忙しい時間を割いて、台中へお見えになるとの連絡がありました。満里子ポワンボフ・フランス駐台湾代表夫人が、著書『Taiwan 楽しいサプライズ!!』の第1行目に「台湾には故宮博物館しかないと思っている?」と問いかけていますが、わたしも同感です。

 台中市内には、緑濃く水の清い台中公園や、やさしい微笑をたたえた大弥勒菩薩のある宝覚寺などがあり、郊外には楽しい学習のための霧峰地震公園があります。

 この度、先生方には台中の新社地区に大きな貢献をしてくれた磯田謙雄(のりお)技師を紹介するため『白冷圳』をメーンに選びました。

 台中の新幹線駅から、50分ほど郊外の道を車で走ると、白冷圳のある新社台地に到着します。「圳」というのは、土辺に川をつけた珍しい字で、「田んぼのほとりの溝」と、台湾の辞書に出ていました。

 この新社は高台にあり、気候が涼しく、病虫害も少ない農耕地ですが、雨水だけに頼る乾燥畑でした。砂糖の輸出が台湾の経済を潤して以来、台湾総督府は「文化の高低は砂糖消費の多寡によって知られ、糖業の消長はサトウキビ苗の優劣によってきまる」と、サトウキビ苗床に適しているところをさがし、この新社が茎の太いサトウキビの苗作に適しているとの調査報告を受けました。

 嘉南大圳、烏山頭(うさんとう)ダムを設計し作り上げた八田(はった)与一技師(1886~1942年)と同じ金沢出身、その工事にもたずさわった磯田謙雄技師が、新社の奥山、八仙山に沿って流れる水量豊富な大甲渓から取水して、814ヘクタールの土地を灌漑(かんがい)する企画設計をしました。

 1927年、当時の日本帝国議会で145万円(今の55億円相当)の予算が通り、翌年工事が開始されました。22のトンネルと14の水路橋、さらに、大甲渓中流の白冷台地と新社台地の高低差(22.6メートル)を利用して、水を移動させる3つの逆サイホン装置も作りました。地形の変化を使い、電気などの動力を一切使わない送水路が出来上がったのです。

 日本から船で運ばれてきた鋼鉄の送水管は、直系1.2メートル、鋼壁1.2センチの立派なもので、同行した若い教授が、当時の日本の鋼鉄技術の高さに感心していました。白冷圳の工事は1932年に完成しました。

 1999年の大震災で、山に変動が起こるまで、68年間絶え間なく、新社地区に灌漑と生活用水を送りこんできたと、台中の農田水利局の幹部は誇らしげに、自分の身内のことを話すように、日本の国会議員に話していました。

 工事にたずさわった日本人は簡素な宿舎に住み、台湾人と一緒になって、堅固で品質の高い基礎工事を行ったと証言を残しています。

 大震災で、白冷台地と新社台地が同じ標高554.99メートルにまで盛り上がり、逆サイホンが使えなくなりました。そのときになって、3万人の住民は、当たり前のように使っていた白冷圳から流れてくる水が、どれほど、自分たちの生活をうるおしていたかを再認識したのです。

 若い人たちは「おいらが村」の歴史、文化を研究し始めました。夫の許世楷は、「金沢の有名な兼六園を訪れたとき、近くの川から園内の霞が池に貯められた水は、さらに逆サイホンの道理を使い、すぐそばにあるお城に用水として引きこまれていたのだと、説明を聞いたことがあるよ」と、若い人たちに話し聞かせていました。

 わたしも、磯田技師が新社の台地にたたずみ、故郷の兼六園と金沢城を思い浮かべている姿を想像しました。

 大震災の後、毎年、通水が始まった10月14日には記念会が持たれるようになりました。朝早く村人たちは大人も子供も、夜のお誕生会の前祝いに白冷圳の清掃をしました。

 特に、今年は白冷圳誕生80周年になりますので、磯田謙雄技師についての記念碑を建立したいと、新社の人々に碑文のための資料探しを頼まれました。金沢出身の岡田直樹・参議院議員にお願いしたところ、詳しい資料が金沢大学に留学中の金湘斌さんを通して送られてきました。

 旭川観光大使の藤見尚子さんが、「磯田さんが新社の地に残したものと、それを大切にしてくれている台湾人の気持ちを日本の人たちに知ってもらいたい」と、話していたのが心にこだましています。 (産経新聞2011年10月21日)
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 ちなみにエッセイの最後に出てくる藤見尚子さんは金美齢先生の初代秘書。私が3代目ですから、2人の秘書が台湾へと送り込まれて(?)いるわけです。

 白冷圳を作った磯田技師は四高→東京帝大→台湾総督府と、先輩の八田與一と全く同じ道を歩いています。白冷圳の構造についてはまだ解明されていない部分があり、これから資料の発掘などが必要となりますが、台湾の水利に活躍した偉大な2人の技師と金沢という風土を絡めて描けば面白い本が出来上がるのではないかと感じています。
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by ritouki | 2011-10-17 23:20 | イベント

田中千絵さん撮影

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 12月2日夜、台北の国父記念館で「謝謝台湾 日本がんばろう 感謝会」というイベントを開催します。

 当日は、震災発生後、有形無形の支援をしてくれた台湾の皆さんに感謝を込めて日本各界からのメッセージを紹介。日本文化を紹介するプログラムのほか、田中千絵さんやジュディ・オングさんが登場します。

 今日は記者会見で流す田中千絵さんのメッセージを撮影して来ました。
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by ritouki | 2011-10-17 20:39 | イベント

江沢民は生きていた!

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 残念ながら産経の報道は誤報だったようです。
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by ritouki | 2011-10-11 21:49 | イベント
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by ritouki | 2011-10-08 22:15 | イベント
 12月に行われる感謝イベントの打ち合わせで週末を東京で過ごし、朝一番の飛行機で台北へと戻って来ました。本来なら今日は日曜日なので、夕方の便でゆっくり帰って来てもいいのですが、帰って来なければならない理由があるのです。
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 その理由がこれ。念願だったNHKのど自慢の台湾大会の本選が今日、国父記念館で行われるのです。観覧席は満席、ゲストは小林幸子さんと吉幾三さん。お二人ともコンサートやプライベートで台湾は何度も訪れているそうです。司会はおなじみの徳田章アナウンサー。いつもの鐘の音に乗ってスタートです。

 本選も無事に終わり、最後は「海外収録のための特別オマケ」として小林さんと吉さんのミニコンサートが行われました。終了間際、小林さんは涙ながらに「多くの皆さんがもう仰ったと思いますけど、日本のために大きな義援金をたくさんいただいたこと、心から感謝します。番組の中で、そういうことをずっと言い続けることはちょっとあれかと思ったのですけど、日本は台湾に皆さまに心から感謝しています。私、代弁させてもらいます。本当にありがとうございました」と仰り、会場から大きな拍手が贈られました。

 終了後、友愛会の皆さんや有志を交え、のど自慢台湾開催の署名運動を推進してきた呉正男さんを囲む会。開催までに、というよりも開催が決まってからも紆余曲折があり、決して気持ちよく実現に漕ぎつけたわけではない苦労話もありましたが、とにかく台湾での収録が実現できて呉さんも満足の笑顔を見せてくれました。
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by ritouki | 2011-10-02 23:06 | イベント