台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

<   2012年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

b0199170_23565130.jpg

 今年末の開通が予定されているMRT信義線。永康街や東門市場、大安森林公園の最寄り駅として利便性向上が期待される東門駅のとなりにある東門郵便局が改装され、日本時代の消印をモチーフにした金属製のパネルが設置されました。
b0199170_23564746.jpg

 資料によると、台北郵便局東門町出張所は1934年(昭和9年)12月1日の開設。当初は電信と電話通話の業務だけを行い、郵便の集配や電報は取り扱っていなかったようですが、後に郵便の集配業務も行われました。

 なにゆえ日本時代の消印をモチーフにしたパネルが設置されたのか。調査結果は続報として掲載します。
b0199170_23565676.jpg

[PR]
by ritouki | 2012-06-16 20:44 | イベント

60数年の時空を超えて

 日本でも大人気、抹茶パフェが有名な「祇園辻利」。
 もともとは京都の老舗お茶屋さんですが、東京にもカレッタ汐留や大丸にカフェを出店しているのでご存じの方も多いことでしょう(カフェの店名は「都路里」)。

 台湾では、一昨年に開業した台北の統一阪急百貨店に店舗が入りました。今でも長蛇の行列を見かけますから、台湾での人気も定着したようです。

 実はこの辻利、日本時代には総督府そばで台北随一の繁華街といわれた栄町通り(現在の衡陽路)にお店を構えていました(現在スターバックスがあるところ)。

 絵葉書に描かれた日本時代の辻利と現在の様子を比べてみましょう。高層ビルが増えましたが、基本的な街並みは変わっていないようにも思えます。
b0199170_2154354.jpg

b0199170_2211559.jpg

 お茶とコーヒーの違いはあれど、人々に一服させるための品物を扱う店が同じ場所に存在しているのは不思議です。

 日本時代の辻利の開店は明治32年、店主の三好徳三郎は民間人でありながら、各界の多彩な人脈を生かし「民間総督」と呼ばれるほど隠然たる力を持っていたようです。三好と辻利について研究された学術書も出版されています。

 現在の辻利を台湾で運営しているのは、先代から龍角散の台湾代理を務めてきた范一族。辻利を取り仕切る范育材先生は一橋大学出身で本業は会計士。ひょんなことから知遇を得ました。機会を見つけて現在の辻利についてもっとお話しを伺いたいと思っています。

 辻利にとっては敗戦から60数年の時空を超えて再び台北に戻って来たことになります。
[PR]
by ritouki | 2012-06-14 22:15 | イベント

複雑 or シンプル?

 今ではネットで登録できる大学の履修申請。ちょっと前まではマークシートだったと記憶しています。提出する際に「これとこれは同時に履修出来ないからダメ。やり直し」とか突き返されたりして。そう考えると、ネットはおろかマークシートもなかった時代はどのように処理していたんでしょうか。申請する方も処理する事務方も大変だったと想像しますが、もしかしたらむしろ複雑化された申請体系よりも、シンプルに処理できて楽だったのかもしれませんね、あくまで想像ですが。

 これは戦後間もなくの台湾大学の履修申請控えです。面白いのは、日本時代のものをそのまま流用しているので、年号が昭和なのを民国に書き換えたりしています。この学生さんは誰でしょう。
b0199170_22281022.jpg

 履修申請が手書きなら、もちろん論文執筆も手書きです。校正の跡も残るこちらの論文は「台湾農業労働的研究」。どちらも国立台湾大学校史館に展示されています。
b0199170_2228837.jpg

[PR]
by ritouki | 2012-06-13 19:27 | イベント
b0199170_043557.jpg

 「蓬莱米の父と母」の原稿が書き上がったら次に必要なものは写真です。

 台北の気温は連日30度近くになり、もはや初夏を通り過ぎているような気もしますが、今日は乾燥しているので気持ちいい日和です。

 台湾大学正門を抜け、舟山路と呼ばれる脇道へ。校舎が林立し、自転車や徒歩の学生たちが行き交うエリアを抜けると、急に目の前に広い田畑が広がります。これが台湾大学農芸学部の実験農場です。

 そして実験田の隣りに通称「磯小屋」、正式には農芸学部の「育種準備室」と呼ばれる建物が見えてきます。MRT公館駅から台大のキャンパスを通って15分ほど。遠くに台北101が見えるのは、ここが紛れもなく台北市内だという証拠です。
b0199170_126542.jpg

 築80年以上という磯小屋は台湾大学の建築物の中でも最古参。台北高等農林学校、台北帝国大学、国立台湾大学と移り変わる歴史を見つめてきました。

 磯永吉は台北帝大教授と中央研究所農事試験場の技師を兼任していました。在りし日の磯は、この小道を通って帝大と試験場(台大とは現在の基隆路を挟んだ向かい側にあった)を往復する日々を過ごしていたのでしょう。
b0199170_0321220.jpg

 3月に銅像が設置され、月末に訪問した際にはまだ整理も手付かずだったのが、昨日撮影に行った時には室内の展示も整理され、ボランティアスタッフ(農芸学部の”往年の”卒業生)が待機していました。入り口では、許文龍さんが製作した磯永吉と末永仁の胸像が迎えてくれます。
 室内には磯が実験で使った道具、米のサンプル、タイプライターなどが展示されています。今後、破損がひどい箇所は補修し、さらに整備を進めていく予定だそうです。
b0199170_0321630.jpg

b0199170_032104.jpg

 この小屋の管理を担当している劉さんは、学生時代にこの部屋の中から磯の手書き原稿を発見しました。その後、磯や末永の功績を研究し、現在では磯小屋の管理を任されているとか。
 3月に訪問した際は、一般公開はしていないとのことでしたが、現在では整理がかなり進んだということで、毎週水・土・日に公開しているそうです。参観時間は午前9:30〜12:00、午後1:30〜4:00まで。予約なしで突撃しても大丈夫そうな雰囲気でしたが、念のため予約しておいたほうがいいでしょう。公式サイトはこちらです。
b0199170_032867.jpg

b0199170_032275.jpg

 磯永吉の胸像は、蓬莱米の種籾が栽培された陽明山の竹子湖にも置かれています。こちらには蓬莱米の原種田を管理する事務所の建物が今も残っているとか。時間を見つけてそちらにも出掛けてみたいと思います。

 ところで、蓬莱米はご飯としてだけでなく、我々の大好きなものの原料としても使われています。台湾の国民的ビールといえばもちろん「台湾ビール」。この台湾ビールにも蓬莱米が使われているのです。台湾に駐在しているアサヒビールの方に伺ったところ、世界中ほとんどのビールで、原料に米が加えられているため、決して珍しいことではないのだとか。ただ、なぜ原料表記を「米」とせず、わざわざ「蓬莱米」と記載してあるのかは謎です。台湾ビールの本社に問い合わせたものの、分からずじまいでした。

 ほぼ毎夜のようにお世話になっている台湾ビールに「蓬莱米」が使われているという事実も、お恥ずかしい話ながら、数年前に許世楷大使に教えてもらうまで気付きませんでした。

 ともあれ、身近な台湾ビールにもこんな日本と台湾の密接な関係が隠されているんですね。今度、台湾ビールを飲むときにはぜひ思い出して下さい!
b0199170_1302062.jpg

[PR]
by ritouki | 2012-06-07 23:32 | イベント
 李登輝総統は先月中旬の台南・嘉義視察に引き続き、先月末に雲林県の視察を予定されていた。しかし、風邪による呼吸器の炎症などで大事をとり、視察は今月中旬に延期され、医師のアドバイスにより、経過を見るために先月24日午後から入院されていた。

 心配された体調も回復し、5日夜には桃園県中壢市にある国立中央大学資訊管理研究所で「新時代の台湾人、私の『脱古改新』」と題した講演を行った。総統はもともと6日に退院予定だったのを、「学生たちに話しておかなければならないことがある」として一日早め、退院されたその足で直接大学へ向かい、講演されたという。

 午後6時半から8時過ぎまで、約1時間半を疲れも見せずに立ちっぱなしで講演。
 講演後の質疑応答では、中国からの交換留学生から「尖閣諸島が日本の領土だと言っているが、尖閣諸島は中国や台湾のものではないのか」との質問が出ると、李登輝総統はやおら立ち上がり「尖閣諸島は日本の領土。中国のだ、台湾のだと言うなら証拠を見せよ。そもそも貴方は台湾の歴史を研究したことがあるのか」と迫った。

 学生がなおも「台湾を近代化させたのは日本かもしれないが、現代化させたのはアメリカだ」と発言すると李総統は「ナンセンス」と一蹴、場内からも失笑が漏れた。ただ、最後には李総統からこの中国人学生に「台湾の民主を学ぶように」と著書が贈られた。

 講演を聴講していた台湾人学生からは「あの中国人学生は、元総統との会話を通じて、自由に発言出来ることこそが民主主義だということを学んだのではないか」と話した。

 講演に関する報道は以下から見ることが出来る。

 なお、6日夕方の産経新聞ニュースサイトでは、李登輝総統の「尖閣は日本領」発言をトップで報じている。
b0199170_19303974.png

b0199170_19304112.jpg

[PR]
by ritouki | 2012-06-06 18:05 | イベント

台湾点描「清水公学校」

b0199170_2323457.jpg

 昨年4月に蔡焜燦先生と訪問した清水国民小学校。その前身は昭和9年暮れに完成した清水公学校、蔡先生の母校です。

 当時、日本内地の旧制高校でも珍しかった鉄筋コンクリート、レンガ造り。昭和10年の台中大地震や921大震災でもビクともせず、現在では政府の古跡指定を受けています。
[PR]
by ritouki | 2012-06-01 23:22 | イベント