台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

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 8月6日、曾野綾子さんは産経新聞の「正論」欄で「私は一人の台湾人のために靖国神社に参る」と書きました。この記事については、当日のブログでも紹介しました

 曾野さんが書いた「私は一人の台湾人のために毎年靖国に参る。その方は、当時日本人としてフィリピンで戦い、日本人として戦死し、その遺体さえついに待ちわびる父母の元に帰らなかった。その父は、最期まで長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかった」という内容は、読む人が読めば李登輝元総統一家のことを指しているとわかるものでした。

 そしてやはり曾野さんはPHPの月刊誌『Voice』に連載の「私日記」で同様のことを記されていました。8月15日の日記が掲載されたのは10月10日発売の11月号。購入したはいいものの、忙しさにかまけ、今になってやっとページを開きました。
 8月15日の箇所には「(前略)私は岩里武則というお名前の台湾人のご家族の代参のつもりもかねている」と書かれています。
 靖国神社に祀られる岩里武則命は台湾名が李登欽、まぎれもなく李登輝元総統の御兄上です。当時は李元総統ご自身も岩里政男という日本名をお持ちでした。

 「最期まで長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかった」というお父上の李金龍さんは、1995年(平成7年)4月19日早朝、台北市内の仁愛病院で李元総統ご夫妻ら家族に見守られながら98歳でこの世を去りました。故郷の三芝では90歳を過ぎてもなお公益関連の事業に熱心で、地元の名士として慕われていたということです。
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 その李金龍さんは1991年(平成3年)3月、95歳のときに日本を訪れています。それから数えること16年後の2007年6月8日、奥の細道を歩くため訪日された李元総統は日光へ。歓迎会場となったレストラン「明治の館」には栃木県日台親善協会(当時)の計らいにより、16年前に日光で歓迎された御父上の写真が飾られており、李元総統もしばし見入っていました。
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 スピーチに立った李元総統は「親父が日光を訪れた時は90歳を過ぎていました。私はまだ90歳になっておりませんよ。まだまだ歩けます!また来ます!」と力強く語り、会場から万雷の拍手を浴びていたことを覚えています。

 日光を訪れた前日の6月7日、李元総統は曾文恵夫人、孫娘の李坤儀さん、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席、三浦朱門・曾野綾子ご夫妻を伴い、靖国神社を参拝。60数年ぶりにフィリピンで散華された御兄上と再会されました。
 そして翌日には、御父上が元気で日光を訪問された際の写真をご覧になりました。御父上、御兄上と、すでに世を去った肉親の面影に深く思いを馳せられたことと思います。

 李登輝元総統は、来年1月15日で90歳を迎えます。講演や視察に同行しても、声色はパワフルで足腰もまだまだお元気そう。仄聞するところによると、再びの訪日を熱望されているとか。訪日が実現する暁には、お身体にご負担のかからないよう配慮することはもちろんですが、静かな環境で日本を堪能していただけるよう、日本側も抑制した対応をしていかなければならないでしょう。
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by ritouki | 2012-10-31 02:06 | イベント
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 つい数日前、台湾総督府(現台湾総統府)や台湾総督官邸(現台北賓館)の全館開放日に合わせ、参観に行って来ました。恥ずかしながら、台湾総督官邸は初めての見学。しかし、そこには日本時代の重厚な、荘厳な、国家の威信を文字通り体現した異世界が広がっていました。

 総督府の設計は長野宇平治がコンペに提出した案に、森山松之助が修正を加えたものになりました。長野は日銀本店などを手掛けた建築家、森山は白アリ被害で改修を余儀なくされた台湾総督官邸の改修設計をはじめとして、台湾各地の庁舎を多数手掛け台湾建築界の旗手となっていきます。そして、この二人とも先ごろ復刻されて話題となった東京駅を設計した明治の大建築家、辰野金吾の愛弟子なのです。

 総督府や官邸にかぎらず、台湾にはいたるところに日本時代の建築物が現役で、もしくは用途を変えることで新たな生命を吹き込まれ、今日も活躍しています。古き良き面影を残す建物を大切に守り、今日も使い続けてくれている台湾の人々に感謝することは言うまでもありません。しかし、その一方で、戦後台湾を占領統治している中華民国政府の統治の仕方にも目を向けなければなりません。

 逆説的に言えば、蒋介石一派が「大陸反攻」をスローガンに、中国大陸をいつの日か奪還する夢物語のなかで台湾占領を行なってきたために、台湾は一時的に羽を休めるだけの補給地にしか過ぎず、台湾の発展をこれっぽっちも考えなかったことが、日本時代の建築物がこれだけ残された原因のひとつになっているのは間違いありません。

 戦後の国民党政府には、台湾を発展させるだけの余力がなかったともいえるでしょう。あらゆる財源を「大陸反攻」のために注ぎ込んだため、新たな建設が出来ず、ちょうどいいから残っている建物を利用したという言い方もできます。

 李登輝元総統が地方視察の際に「大陸反攻のため、国民党はあまりにも中央集権化してしまい、地方の疲弊はかなりひどい」と漏らしたのも、当時の影響が未だに残っている表れでしょう。

 また、首都台北に地下鉄(MRT)が初めて開業したのが1996年です(木柵線)。同じく「アジアの4小龍」と呼ばれた香港は英国統治時代の1979年、韓国のソウルは1974年、シンガポールは1987年と、一番遅いシンガポールに比べてもかなり開きがあることが分かります。また、タイのバンコクに地下鉄が開業したのが2004年ということを考えると、人口250万の台北でこれだけ公共交通機関の整備が遅れたというのは、やはり前述したとおり、国民党政府が台湾の発展に本腰を入れていなかった証左ともとれるのではないでしょうか。

 先日開催された「片倉佳史さんと行く台湾ツアー」では、新竹編として新竹神社跡を訪れました。戦後、この場所は中国からの難民や密入国者を収容する施設として使われ、現在では、主に東南アジアからの不法滞在者が収容されています。

 神社が不法滞在者収容施設になってしまったことも驚きですが、片倉さんの説明によると、中国人の思考は至極「合理的」であり、この場所に以前なにがあったか、は問題ではなく、使えるのであれば使う、という割り切られた考えの持ち主だとか。

 つまり、今日の台湾で私たち日本人が無性に郷愁を感じる赤レンガの総督府をはじめ、数多くの日本時代の建築物が残されているのには、中国人の合理的な考え方と、蒋介石一派の「とにかく中国大陸を取り返すんだ、台湾なんか腰掛けなんだからどうだっていい」という徹底的にエゴイスティックな思想も大きな要因の一つになっているのだと思うのです。
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by ritouki | 2012-10-16 15:06 | イベント

台湾総統府の全館開放日

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 総統府の全館開放日と台北賓館の開放日は毎月同日に設定されています。

 総統府は、平日の午前中に参観することができますが、ガイドさん同行で、1階部分のみ。また、写真撮影も禁じられています。ただ、毎月一度の全館開放日には普段足を踏み入れることの出来ない3階まで入ることができ、写真撮影も自由です。さらに、通常は総統と副総統、そして総統、副総統に面会する賓客しか利用できない正面玄関から入館することができます。ですから、総統府と台北賓館、どちらか一方だけを見学するのでは非常にもったいないので、ぜひとも両方見学されることをおすすめします。
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 総統府も台北賓館も見学時間は午後4時まで。ホームページの案内を見ると「入館は午後3時30分まで」と記載されていました。台北賓館の見学を終えて出てくると、もうすでに3時半をまわっていたので残念!ところが、総統府の正面玄関を見ると、見学者がどんどん入っていきます。ダメモトで総統府北側の入口へ向かうと、身分証を提示して敷地内に入ることが出来ました。

 ちなみに、台北賓館の参観に身分証は不要ですが、総統府の参観には身分証が必要ですので、パスポートや居留証などの公的身分証をお持ちください(学生証などでは不可とされる場合があります)。また、総統府の全館開放日も、入口は通常の参観と同じ博愛路側の入口です。ここで身分証を提示して敷地内に入り、金属探知機の検査を受けた後、総統府正面の玄関側にまわります。

 総統府正面側に設けられたいくつかの入口にはそれぞれ憲兵が立ち、機関銃を構えて警備にあたっています。台北賓館とは異なり、ここは総統や副総統が執務する、いわば台湾のホワイトハウス。警備が厳重になるのも当然です。

 玄関を入って振り向くと、正面には台北のランドマーク、台北101ビルの雄姿が。目の前に広がる大通りは「凱達格蘭大道」。もともとは蒋介石の長寿を祈念するという意味の「介寿路」という名称でしたが、陳水扁元総統が台北市長時代に改称されました。「凱達格蘭」とはその昔、台北近辺に居住していた「凱達格蘭族(ケタガラン族)」という高砂族の名称にちなんでいます。
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 正面玄関を入ると、すぐに白壁が荘厳な雰囲気を醸し出す、吹き抜けのホールに出ます。玄関から階段までは大理石の床に赤絨毯が敷かれ、正面の中2階には孫文の銅像。そして左右に分かれた階段が3階へと続いています。
 中国人観光客が総統府を訪れると、孫文の銅像の前で記念写真を撮るのが定番とのことでしたが、閉館間近のせいか、かえって見学者も少なく、静かな空間でした。
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 総統府の前身は、ご存知の通り、日本時代の台湾総督府です。およそ7年の年月をかけて1919年(大正8年)に竣工。設計はコンペで選ばれた長野宇平治の案に、森山松之助が修正を加えるというかたちで行われました。長野は日銀本店などを設計した建築家、森山は台湾総督官邸(現台北賓館)の改修をはじめとして台湾各地の庁舎などを手掛け、台湾建築界の旗手となっていきますが、二人とも明治期に活躍した名建築家、辰野金吾の弟子にあたります。
 この総統府が上空から見ると「日」の字をしていることはよく知られていますが、実は朝鮮総督府も同じく「日」のかたちをしています。
 台湾の場合、それと同時に、日の字型をしていることで、中庭が作られ風通しを良くするという機能が重視されました。領台からすでに20年近くが経過していたとはいえ、熱帯病が恐れられ、衛生状態もまだ完全には改善されていなかった台湾ではまず「予防」に重点が置かれたため、風通しを良くして衛生を確保する必要があったとされています。また、総督府は日本の方角である東向きに建設されています。
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 3階部分は、総統が就任する際に宣誓を行う広間や、総統と来客が面会する応接室なども開放され、自由に見学することが可能です。午後4時の見学終了時間が迫り、人影もまばらな廊下には秋の柔らかな日差しが差し込んでいます。
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 通常の見学と同様、1階のパネル展示も見学が可能。日本時代からの歴代総督、中華民国が台湾を占領してからの歴代総統の写真とともに、台湾が歩んできた歴史が展示されています。
 李登輝総統のコーナーには、1996年に行われた台湾初の総統直接選挙の際に使われた選挙用チラシや、当選後の就任演説全部が図柄として施された壺などが展示されています。
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 私自身、何度も見学に訪れた総統府ですが、出掛けるたびに新しい発見があり、展示も定期的に変更されるので、見飽きることはありません。特に、全館開放日は普段入ることの出来ない場所も見学でき、ガイドさん抜きで自由に参観したり撮影したりすることができますので、ぜひ一度、全館開放日にお出かけになることをオススメします。

 総統府の公式参観案内はこちら。見学には、全館開放日も平日午前も必ず身分証が必要です。また、ビーチサンダルや、過度の軽装では入館を許可されませんのでご注意下さい。
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by ritouki | 2012-10-13 23:02

台北賓館の自由参観

 台湾総統府の前に伸びる凱達格蘭大道を挟み、南側の外交部(外務省)と対峙して建っているのが「台北賓館」。国賓をもてなす晩餐会や、中華民国の建国記念日である「国慶節」を祝うパーティなどが開かれる、いわば迎賓館ですが、その前身は、日本時代の1901年(明治34年)に建設された「台湾総督官邸」です。

 戦後は「台北賓館」の名称に変わり、1963 年からは外交部所管の迎賓館として使われたため、長らく一般には公開されませんでしたが、2006年からは月に一度、自由参観日が設けられ内部の見学をすることが出来るようになりました。

 実をいうと、5年以上も台湾に住みながら、台北賓館に足を踏み入れたのは今日が初めて。そこには日本時代の重厚な設計と、瀟洒な内装を今に残す異空間が広がっていました。
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 1899(明治32)年、児玉源太郎・第4代台湾総督の命により建設が着手された台湾総督官邸は1901年(明治34年)に完成。設計したのは総督府技師の福田東吾と野村一郎でした。しかし、日本内地とは異なり、想定外だった台湾特有の手強いシロアリ被害によって改築を余儀なくされ、1911年(明治44年)から再び工事が行われました。この際、建物を取り囲むかのようなベランダも増築され、現在の姿になったそうです。

 正面入口には赤絨毯が敷かれ、国賓を接遇する厳粛な雰囲気を漂わせています。玄関ポーチから上を見上げると、銅細工と思われる照明が目に入りますが、よく見ると、先端には16枚の花びらをかたどった菊の御紋が見えます。
 戦後、台湾を占領した国民党政府は、日本時代に残されたものをことごとく破壊しましたが、その反面、「使えるものは使う」ということで、総統府をはじめとする建築物は引き続き使われることになりました。しかし、桜や菊など「日本」をイメージさせるものは削り取ったり、わざわざ中華民国の国花である梅に差し替えたりしたことを考えると、この照明がこの場所に残されているのは不思議です。
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 玄関を入ると、参観は左側の階段をのぼり、まず2階を見るのが順路となっています。初めて台北賓館を訪れた人たちは、白壁に輝く金の装飾に思わず見とれてしまうことでしょう。階段をのぼりきった広間の天井や壁にも、金で上品に装飾された意匠が目に入ります。
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 2階は主に居室として使われたそうですが、床はヒノキの寄木張り、それぞれの部屋に設置された暖炉にはイギリスから輸入したヴィクトリア様式のタイルが使われるなど、国家の威信をかけたとも言える最高級の造作であったことが分かります。窓の上には彫刻が施されていますが、こうした細かな部分でも、戦後に台湾を占領した国民党の中国人はきっちり手を加え、中華民国のシンボルである梅が入っています。
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 また、2階東側には鉄製のヨーロッパ式を意識した螺旋階段が設置され、バルコニーに出られるようになっています。
 1923年(大正12年)4月16日、台湾を行啓された皇太子殿下(当時は摂政、後の昭和天皇)は軍艦「金剛」で基隆に到着。列車で台北へ移動し、この台湾総督官邸にお泊りになられました。夜には、台北市民総出ともいえる提灯行列が行われ、皇太子殿下はわざわざバルコニーに出られ、万歳の声をあげる民衆に応えられました。
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 クスノキを材料とした階段の手すりにも彫刻が施されています。また、廊下にはすべて赤絨毯が敷かれ、あたかもタイムスリップしたと錯覚したかのようです。
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 2階中央にある「第一の間」は日本時代、畳敷きの居室でしたが、この部屋には興味深いものが展示されています。部屋の真ん中に置かれた装飾箱の四面には、富士山・渡月橋・厳島神社・日光の神橋が彫刻され、上部は大理石、四方はタンチョウ鶴と亀の模様が施されています。四方に開く扉の内側には何も残されていなかったそうですが、内側の上部には78種類の鳥の彫刻がなされているとのこと。
 当時の資料はまったく残されておらず、第7代・明石元二郎総督の時代にはすでにこの部屋に置かれていたこと以外、誰が制作したか、何のために使われたのかさえ不明だとか。一説によると「勅書を保管するためのものではないか」と言われているそう。当時の写真では、この箱の上に風神と雷神の像が置かれていました。しかし、戦後、雷神の像は行方不明となり、風神の像は破損しているものの、台湾中部の南投県にある国史館に保管されています。
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 1階は、現在でも晩餐会などに使われる大広間や応接室などが並んでいます。応接室の欄干には、日本時代、魔除けのためか鏡がはめ込まれていましたが、戦後は梅をかたどった彫刻が鏡をさえぎるようにはめ込まれています。南国の暑さに涼を吹き込む天井のファンにも、迎賓館の役割を果たす建築物ならではの装飾が施されています。
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 大広間からはバルコニーに出ることができ、ちょうど建物の裏側にあたる敷地には台北市の中心とは思えない見事な庭園が広がっています。
 以前、ジャーナリストの片倉佳史さんに聞いた説明によると、総督官邸に宿泊するほどのVIPが外出し、当時まだ撲滅しきれていなかった熱帯病に感染したり、抗日ゲリラの被害にあっては一大事と、なるべく総督官邸内に留め置くようにしたとか。そして、官邸内部でも南国台湾の風情を味わえるように、ヤシの木やガジュマルなど、台湾特有の樹木を植えることで台湾の雰囲気を醸し出すようにしたということです。庭園の向こうに見える台湾大学医学部附属病院がなければ、誰も首都台北の景色とは思えないのではないでしょうか。
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 また、庭園の一角には「和館」と呼ばれる日本式の家屋があり、こちらは総督が寝起きするために設えられた完全に日本式の建物だそうです。この和館から庭園の築山を眺めると、あたかも日本庭園のように見え、内地の気分を味わえるようになっているとか。残念ながらこの日は、和館の開放はされておらず、内部を見学することは出来ませんでした。

 台北賓館は台湾総統府の全館開放日と合わせ、毎月上旬の週末に開放されます(開放時間は8:00 〜16:00)。スケジュールは台北賓館のHPでご確認下さい。なお、台北賓館の参観に身分証は必要ありませんが、総統府の見学には必要ですのでご注意下さい。
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by ritouki | 2012-10-13 22:59 | イベント
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 李登輝元総統は本日午前10時から、台湾大学農業経済学系(学部)の大講堂で「我的人生哲学(私の人生哲学)」と題した講演を行いました。

 昨年11月中旬に大腸癌の開腹手術を行ったことで、一時期その体調が心配されましたが、術後の経過は大変順調で、今年4月に高雄および屏東を皮切りにした台湾全国を視察する「生命之旅」を始められました。

 「総統を退任した後、地方に出掛けていない」という想いによって始まった地方視察では「大陸反攻に固執した国民党の中央集権化の影響で、地方経済が疲弊している」と台湾経済の先行きを憂いながらも「地方にはまだまだ埋もれた人材がいる」と市井の人々のひたむきな姿に希望を見出していました。

 5度にわたって行われた「生命之旅」では、晴れ男の李元総統には珍しく、雲林や彰化で台風に見舞われました。9月上旬の南投・台中を巡る視察では、炎天下で疲れた表情を見せながらも、熱心に人々の声に耳を傾ける姿に心打たれました。

 「生命之旅」にはまだ台湾北部や東部が残されていますが、とりあえず今年の視察予定は南投・台中をもって終了。年末までは、積極的に大学をまわり、学生たちに向かって講演を行うとのことでした。

 今日は、母校でもあり、かつては教鞭をとっていた台湾大学農業経済学系での講演。聴衆として集まった学生は300人以上。席が足りなくなり、通路にまで学生があふれる満堂となりました。
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 以前から、李元総統は、特に学生や若者と話すことが出来るのを何よりも喜ばれると仄聞します。台湾の将来を担う学生たちに対し、ご自身の哲学を伝えることで、何かしらの糧として欲しいという願いによるものでしょう。
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 「私はいま90歳、皆さんはいま20歳くらい。しかし、私が20歳から経験した70年間と、これから皆さんが経験する70年は全く違う。変化は地球規模で起きている。そのことを念頭に置いて対処していかなくてはなりませんよ。」

 そう締めくくった李元総統は立ちっぱなしの講演90分、その後も質疑応答で30分近くしゃべりっぱなし。90歳を過ぎ、ますます元気になっていくように見えるのはあながち錯覚ではないかもしれません。
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by ritouki | 2012-10-05 17:44 | イベント
 南国台湾とはいっても、10月ともなればさすがに秋の訪れを感じます。午後6時にはすでに夕闇が迫り、日によっては肌寒くて上着を必要とするほど。

 ただ、昼間はまだ20度以上ありますが、湿度が低いためにカラッとしており、快適な季節の到来です。
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by ritouki | 2012-10-04 21:12 | イベント
 台湾のレシートには「宝くじ」がついていることはよく知られています。細長いレシートの上部に番号が書いてるのが長年のおなじみでしたが、今年から「電子レシート」なるものが登場しました。電子レシートの登場によって、今までは手作業でチェックするしかなかった当たりはずれの確認作業が格段に進歩したのです。

 電子レシートにはバーコードが記載されており、このバーコードをスマートフォンの対応アプリでスキャンすることでレシート番号を記録します。2ヶ月ごとに当選番号が発表された際には、当選番号のデータを自動的にダウンロードし、記録してあるレシート番号を照合することで瞬時に当たりはずれをチェックしてくれるというものです。

 電子レシートは、セブンイレブンやモスバーガー、SOGOデパートや三越で導入が始まっています。電子レシートをもらったらその場でスキャンすればOK。従来式のレシートの場合、手入力で番号を入力します。若干面倒ですが、レシートをもらったすぐに入力することを習慣づけると、それほど苦ではありません。むしろ、当選番号が発表された後、手作業でチェックする手間を考えればお手のものです。入力済みのレシートは、クッキー缶などにどんどん入れておきます。そうすると、だいたい下から日付順に重なるようになっていくわけです。

 当選番号が発表されたら、アプリが自動的に照合して当選しているレシートを教えてくれます。入力した日付も表示されているので、だいたい目星を付けてクッキー缶を漁れば、1分もかからず発見!今まで数十分かけて手作業でチェックしていたことを考えると、時間と手間が格段に省けます。
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 いくつかアプリを試してみましたが、今のところ一番使いやすいと思ったのはこちらの「電子發票王」。他にもいくつかあるので、ご自分の使いやすいアプリを探すのも楽しいかもしれませんね。

 最後にひとつ。そもそも、なぜレシートに「宝くじ」を付ける、という発想が生まれたのでしょうか。その答えが「脱税防止」だということはけっこう知られているのですが、どうしてでしょう?

 お店やレストランが脱税をするのに最も手っ取り早い方法は、売上げをちょろまかすこと。簡単に言えば、実際に売れた金額をカウントしなければ、そのぶん帳簿上の売上金額が減り、課税率が下がるので、結果的に税金の支払を逃れられるというわけです。
 では、このちょろまかしを防ぐためにはどうすればよいか。つまり、お客さんが物を買ったり、レストランで支払いをした際に「必ずレシートを欲しがる仕組み」を作ればよいというわけです。レシートに「宝くじ」の番号が付いているおかげで、たとえ10元の新聞の購入でも、お客さんは必ずレシートを要求します。これによって、売上は自ずと漏れなくレジに打ち込まれることになるというわけです。

 手間を掛けずに脱税を防げ、庶民はささやかながらも宝くじ気分が味わえるという、なんともスマートな方法ですが、当選金額はなかなかのもの。特等は1千万元(日本円で約3千万元弱)、当選金額が一番低いのは200元(約600円弱)ですが、こちらは下4桁の番号で当選が決まるので、250本に1本は当たる計算。旅行者でも当選金が受け取れるので(高額当選の場合は要確認)、台湾でのレシートは捨てないようにしましょう。もし不要な場合は、空港や街角にある寄付箱に入れることをオススメします。ボランティア団体がチェックし、当選金は慈善活動などに使われるということです。
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by ritouki | 2012-10-02 21:47 | イベント
 今日の自由時報に許世楷・元駐日代表夫人で児童文学作家でもある盧千惠さんの文章が掲載されています。
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 下記は日本語に訳したものです。

 9月29日、福島県から台湾へ感謝の気持ちを伝えるためにやって来た19名の皆さんをお連れして台中は新社にある白冷圳を見学し、続いて台南の後壁へ向かい「古厝中秋節音楽会」に参加してきました。

 後壁の黄崑虎さんが主宰する「台湾友の会」は、大地震と津波が日本を襲ったとの報が流れるや否や、即座に募金の号令を掛け、200トンにもおよぶ支援物資を被災地へと送り届けました。ですから、日本からはるばるやって来た皆さんが直接、黄さんやたくさんの台湾の人々に御礼を申し上げる良い機会だと考えたのです。

 台風が月に舞台を譲ってくれたのか、夜空を照らす月の光はあたかも台湾の善良なる人々を祝福するかのようでした。「音楽会」に参加した1500もの聴衆は、揃って音楽に耳を傾ける感動と喜びを分かち合ったのです。日本からお越しくださった平野さん三姉妹が奏でた津軽三味線の音色は満堂の喝采を浴び、三姉妹も「雨夜花」を歌って応え、「謝謝台湾」「台湾がんばろう、日本がんばろう」と感謝の気持ちを伝えてくれました。

 家路につく車に揺られながら思ったのは、台湾の人々がかくも長きにわたり築きあげてきた日本との深厚な友好関係が、今般の尖閣諸島事件によって、あたかも中国の意のままにされたかのように傷つけられたこと、そして政府までも人々がコツコツと築きあげてきた友好という名の財産を喰んでいることでした。

 台湾の漁船が中国の船に襲われた時、遭難した時、緊急の病人が発生した時、日本の海上保安庁は台湾側の要請に応え、即座に救助に向かってくれたと聞きます。台湾は、駐日代表を日本に戻し、正々堂々日本政府と交渉させるべきであって、漁民たちに冒険させるべきではありません。

 名月を仰ぎ見ながら、世界に平和が訪れるのを願うとともに、台湾人が台湾人の国を持つことができることを祈る夜でした。
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by ritouki | 2012-10-01 18:58 | イベント