台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

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 本年も残すところほんのわずかとなりました。

 今や台北の風物詩となった台北101ビルの花火を見ようと、少し距離のある南京東路附近でも人の波であふれ、夜中12時近いとは思えない熱気です。
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 間もなく新年、本年も大変お世話になりました。新年も引き続きよろしくお願い申し上げます。
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by ritouki | 2012-12-31 23:43 | イベント
 先ほど、友愛グループの代表幹事を務められている張文芳さんからご連絡をいただきました。友愛グループを創設した元会長の陳絢暉さんが、21日に亡くなられていたそうです。享年87歳でした。

 実を言うと私は陳元会長とは一度もお目に掛かったことがありません。とはいえ、今や「美しい日本語を守る会」としてその名を轟かせる友愛グループの創設者としてそのお名前は幾度となく見聞きしています。

 創設のきっかけとなった川端康成夫人への「”貴様”誤訳事件」は余りにも有名で、下記にご紹介する宮崎正弘先生が書かれた友愛グループ紹介の文章にも出てきますのでここでは割愛します。

 晩年は糖尿病などを併発し、病院で療養する生活を何年も送られていると、張さんから聞いていました。毎年、毎月、少しずつ少しずつ、日本語族の方々が姿を消されていくのを寂しく、悲しく感じると同時に、少しでも多くの日本語族のお話しを聞いておきたいと切に感じます。

 ともあれ、今や日本と台湾の密接な交流の代名詞となった感のある「友愛グループ」を創設した陳元会長のご冥福をお祈りすると同時に、大盛況と耳にする毎月の例会が、とこしえに続けられていくよう、私も微力ながらお手伝いしていければと思います。

 張総幹事をはじめ、友愛グループの皆さんとは親しくさせていただいていますが、いま一度、友愛グループの歴史を紐解くために、宮崎正弘先生が文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』に発表し、その後、友愛グループの機関誌に転載された文章を下記に掲載します。

 なお、陳絢暉・元会長の告別式は1月19日(土)午前11時から、台北市民権東路の「台北市立第一殯儀館」で行われます。

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 「友愛グループとは?」

 数年前、日本の評論家 宮崎正弘氏が『諸君!』に発表した文章の一部を藉りて、友愛グループの由来を説明します。

 日本の作家藤島泰輔氏が台日国交断交について、「昨日の友人を捨てた外交の酷薄さ」に義憤を感じた藤島氏は台湾問題に初めて首をつっこみ、日本と台湾の架け橋たらんとノーベル賞作家の「川端康成遺品展」を台湾で、東京では著名な中国人書家「張大千展」を催したりの大活躍だった。

 そのときに知り合ったのが当時、台北で特許事務所を経営していた陳燦輝氏とその実兄の陳絢暉氏で、私も初対面のとき、あまりの日本語のうまさに舌を巻いた。

 この陳兄弟は往時の日台文化交流に「ボランティアの通訳」を交替で買って出てくれた。
 
 当時の台湾はと言えば蒋介石政権のもと、日本の映画は御法度、大学で日本語コースは二、三校しかなく、台湾の歴史教育は「大中華思想」で反日的だった。

 この頃のことである。川端康成遺品展の打ち合わせで台北を訪問中の川端未亡人と北条誠氏の通訳をした「日本語専門家」の秘書が「あなた様」と訳す筈を北条氏に向かって「貴様は」と言ったのだ。怒髪天に衝いた北条氏が、このときの無念さを陳兄弟に語った。

 これが「美しく正しい日本語を台湾に残そう」という文化運動への伏線となった。

 (中略)

 この程度の日本語使いが公式通訳員であったり、日本語の教授として台湾で通用するとすれば、これは大変なことではないか。

 それからまもなくである。初めての非公式の集まりが陳絢暉氏の弟が経営する特許事務所の近くの喫茶店で月に一、二度有志が集まって勉強会を持つようになった。つまりスタート時点では、まったく私的な、食事会を兼ねた同好会的集まりに過ぎなかった。

 むろん、当時の政治状況はまだ戒厳令下、日本語の会などをおおっぴらに開けない政治環境だった。

 歳月は須臾(しゅゆ)にして流れ、蒋介石の子・蒋経国が八八年に急死、副総統だった李登輝が正総統となり、台湾政治の表舞台に登場する。

 台湾の民主化が始まった。日本語のビデオや映画の禁止は徐々に解かれ、いやそればかりか日本留学のブームが起こり、台湾のあちこちに日本語学校が花盛りとなる。

 (中略)

 陳さんは仲間を集め、グラス・ルーツ(草の根)的日本語勉強会を始めた。

 北条誠氏(この間に逝去)が嘆いてから、実に十数年の歳月が流れていた。
 
 機関誌『ツツジ』も1993年の2月に創刊、当時、事務所は陳燦輝氏の特許事務所の中におかれた。

 当初は「友愛日本語クラブ」という名称で、林松茂、陳燦暉、劉慕沙、陳宗顯、王得和、陳絢暉、洪祖恩等7人の発起により1992年10月20日に設立され、それが紆余曲折にあって機関誌も99年から『友愛』へ。組織名も今の「友愛グループ」となった。それまで別個に活動していた俳句、短歌、川柳などのグループのメンバーも何人か合流してきた。

 機関誌『友愛』は、いまや「文学界」並みのページ数を誇り、日本人も協力しているので、「エっ」と思うような異色の論文が出るようになった。

 たとえば「中国語方言の中で最も北京語に近いのが蘇州語で72.73%、最も遠いのがアモイ語の48.88%で、そのアモイ語に一番近いのが客家語だが、それでも58.56%に過ぎない。英語とドイツ語の開きに相当する。そして北京語とアモイ語の開きは日本語で言えば東京語と沖縄の首里方言ほどの差になる」(篠原正巳氏)という学術論考があるかと思えば、短歌を詠む人もいれば、なかには歌会始に佳作入選のひとがいる。

 台湾の「務実外交」を日本の新聞が「実務外交」として採りあげたことがある。ところが〈友愛〉機関誌では「実務は『実際の業務』であり、『務実』とは実事につとめる、つまり李登輝は外交面で実益のある方向に専念することに意味がある」と解説して暗に日本のマスコミを批判、なかなか参考になる。

 しかしそれにしてもこれら老壮世代は何故これほどまで日本語にこだわるのか?

 メンバーの蔡焜燦氏は司馬遼太郎が「老台北」と紹介した名通訳でもある実業家だ。私もよく台北でというより東京でお目にかかることが多いが、氏の案内で台湾を回った作家、批評家はかなり多いだろう。

 文学畑では石川達三、井上靖、宮本輝などの著作の翻訳で知られる劉慕沙女史もいる。

 やはり有力メンバーの楊鴻儒氏は国民党の軍人出身だが、「反乱罪」で懲役10年、軍事機密漏洩罪をでっち上げられ3年加算された獄中経験者。反乱罪とは楊鴻儒氏の友人が1971年に「台湾は中華民国のままでは国連を追い出される、台湾民国か、大華民国に国名を変更して国連に残るべきだ」とする在台日本人向けの日本語新聞に発表するゲラを事前に見せて貰ったのに当局に通報しなかったというだけの理由だ。

 結局、楊鴻儒氏は1971年12月に拘束され、1979年8月に保釈。その後、名誉回復の再審を求めようとしたが当時の台湾法では再審請求ができなかった。ただし李登輝時代になって入獄中の未払いの給料、年金を支給され実質的に名誉は回復された。いま楊氏は日本の書籍の翻訳を斡旋したり自らも翻訳をしている。

 (中略)

 翌日、陳氏らと昼飯をとりながら話を続けた。「あの懐かしい歌に籠められた日本情緒を私たちは日本語を通じて、日本人と共有できた。あの時代と比べるといまの日本はなんと変わったものでしょうか」。

 最後には深い嘆息がでてくるばかりなのである。

 以上が友愛グループ設立の経緯です。目前、友愛グループのメンバーは百名を越え、毎月第三木曜日に月例会(勉強会)を開催しており、その都度、日本人留学生や、在台日本人、或いは日本からの旅行者が友愛グループの存在を聞き知り、オブザーバーとして3~4人、多い時は5~6人も参加されています。日本語によるスピーチ発表会も毎月行なっており、たまには「懐かしい昔の歌」をみんなで楽しんでいます。勿論日本語の歌です。

 幾度か日本の新聞(産經新聞、東京新聞、朝日新聞など)が友愛グループのことを報道、NHKにもスクープされ、ドキュメントとして報道されました。

 現在会員数は141名、その内日本人が37名、最年少者25歳、最高年齢93歳、平均年齢が76歳の構成、となっています。(2012年2月現在)

 (後略)
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by ritouki | 2012-12-26 23:21 | イベント
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 本日午後2時から、台北市内の福華大飯店において呉三連台湾史料基金会主催による『許世楷と台湾アイデンティティ外交』新刊発表座談会が開かれました。

 会には許世楷大使の前任を務めた羅福全大使ご夫妻、陳唐山・民進党立法委員、呉栄義・新台湾国策シンクタンク理事長、辜寬敏氏、黄昆虎氏らがお祝いに駆けつけました。8月には羅大使の『羅福全と日本外交』がすでに刊行されています

 基金会の呉樹民董事による開会の辞で始まった会では、張炎憲・台湾教授協会会長が司会を務め、2000年に始まった民進党政権下における羅福全、許世楷両大使の日台蜜月時代を振り返りました。
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 続いて許世楷大使による「日本が直面する内外問題」と題した講演。2004年から2008年までの4年間、駐日代表(駐日大使)を務めた許世楷氏は、1972年の断行以来続いていた日台間の閉塞した状況を打破、これまでにない高レベルの政府間交流を実現しました。
 在任中、台湾国民の訪日ノービザ措置、運転免許証の相互承認、万博への参加、大西洋マグロ類保存委員会(ICCAT)やWHO鳥インフルエンザ専門家会議への出席など、従来には実現されなかった日台間のトピックについても語っています。
 また、来週にも誕生する自民党の安倍政権に対しても非常に期待しているようで、日本に対する熱い眼差しを感じました。ただし、それは今後も台湾が日米と同じ価値観を有していくならば、という条件付きで、もし中国と手を繋ぐという選択をした場合、安倍晋三氏は台湾最大の敵となるだろう、と台湾の政府や有権者に対して釘を刺していました。
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 講演の途中、蔡英文・元民進党主席が到着。会場の拍手で迎えられました。演台に立った蔡主席は、民進党が初めて与党となった際に直面した対日外交の難題に、羅福全大使と許世楷大使というこれ以上ない優秀な外交官が日台関係を新しいステージに導いてくれた。台湾国民はこの10年来、許大使が日本やアジアにおける台湾の役割を作り上げてくれたことに感謝しなくてはならない、と述べました。
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 また、その人生を革命家として、政治家として、外交官として捧げてきた許世楷大使の正義感、情熱、智慧が詰まったこの新刊はきっと台湾をより良い方向に導く一助になってくれるだろう、と結びました。

 会はその後、張炎憲氏、謝南強氏、陳唐山立法委員、施正鋒氏による座談会が開かれ、午後5時に閉会しました。
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by ritouki | 2012-12-23 23:25 | イベント
 本日午前9時から、国立台湾大学社会科学院キャンパスの国際会議場で、李登輝民主協会主催の「土地と政治学術シンポジウム」(李登輝基金会、台湾教授協会協賛)が開かれました。

 徐州路にあるこのキャンパスには、2年前まで法律学院も入っていましたが、現在では公館のメインキャンパスに移転したため久しぶりの訪問。
 日本時代、台北高等商業学校の校舎として作られた赤レンガの趣あるキャンパスです。残る社会科学院も来年夏ごろにはメインキャンパスへ移転するということですが、台北市の古蹟に指定されているため、新たな役割を与えられることになっているそうです。

 朝早いシンポジウムにもかかわらず、李登輝元総統も登場して開幕の挨拶+講演。少し風邪を召されているようにお見受けしましたが、予定時間を大幅に超える50分の講演をパワフルに終えられました。
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 李登輝元総統は講演のなかで、現在の政府は若者の失業問題や給与水準の低下といった、社会の本質的な問題を解決できずにいると批判。経済政策を過度に中国に依存しているため、台湾経済の空洞化を引き起こしていると指摘しました。
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 また、土地問題に関し、近年政府が進めている土地収用の際、政府と国民が対立する場面が多いのは、政府による説明不足が原因とし、さらにコミュニケーションを図るべき、としました。

 さらに、台湾の農業の発展、農村の建設、農民の生活は、台湾省政府主席や総統在任中から特に関心を払ってきた問題であり、農業政策を考える際、常に農民の福祉を優先させてきた、と述べました。
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 また、農業こそが立国の基礎であり、台湾の農業問題はこれまでずっと土地問題とともに存在してきたもの。現在の政府に対し、土地政策をいかに進めれば農業における労働生産力を高められるかについて真摯に考えるべき、と要求しました。
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 シンポジウムでは、張粲鍙・常務理事や張炎憲・台湾教授協会会長、李安妮・台湾綜合研究院副院長らが登壇、土地収用政策や高砂族の土地問題に関する活発な議論が午後5時まで交わされました。
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by ritouki | 2012-12-22 19:50 | イベント
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本日の産経新聞朝刊から。日台の灯よいつまでも、と思わずにはいられません。

明日は、瑞宝双光章を叙勲した林淑櫻さん(元交流協会現地職員)の伝達式という晴れの席でカメラマンを務めさせていただくことになっています。
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by ritouki | 2012-12-20 05:32 | イベント
 天皇誕生日の佳き日に、台北市内のホテルで『許世楷と台湾アイデンティティ外交』の新刊発表座談会が開催されます。

 主催する呉三連台湾史料基金会は8月にも『羅福全と日台外交』と題し、羅大使による回顧録を発刊し、座談会を開催しています

 2000年の民進党政権発足により、羅福全氏が駐日代表(駐日大使に相当)として赴任、陳水扁総統が再選された2004年からは許世楷氏にバトンタッチされました。お二人とも日本語堪能で、台湾独立運動に長く携わり、学者でブラックリスト組、早稲田大学出身、日本の政財界にも知己が多い、と共通項の多い両大使でした。
 馬英九はよく「現在の日台関係は良好」と嘯きますが、両大使が対日外交の現場を取り仕切った8年間の日台関係ほど良好だった時期はなかったのではないでしょうか。もちろん、その立役者となったのはお二人の駐日大使であることは疑いありません。

 今般発刊される『許世楷と台湾アイデンティティ外交』も許大使が4年間の在任中を振り返った回顧録といえます。当日はゲストも登場するということで楽しみです。
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by ritouki | 2012-12-14 15:21 | イベント
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 天皇陛下の御誕生日を奉祝する「天皇陛下御誕生日祝賀レセプション」が今夜、台北市内の国賓飯店で、日本交流協会台北事務所の主催により開催されました。本会台北事務所も、交流協会からご招待状をいただいており、お花を贈るとともに、レセプションに出席してきました。

 この「天皇陛下御誕生日祝賀レセプション」が台湾との断交後、再び開催されるようになったのは9年前の2003(平成15)年から。当時の内田勝久・交流協会台北事務所長(駐台大使に相当)の英断によって実現したものです。国交のない台湾においてレセプションが開かれるということは、日台関係にとっても、日本の対中外交にとっても非常に重要な意義を有しているといえるでしょう。

 レセプションは国歌斉唱に続き、樽井澄夫・台北事務所長の挨拶から。今上陛下の79歳の御誕生日を祝うとともに、日台関係がより一層良好になるよう祈念すると結びました。
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 続いては、亜東関係協会の廖了以会長による祝辞。御母堂が日本人で、日本語は堪能ということでしたが、挨拶は中国語で。祖父は日本時代の台中庁長を務めた佐藤謙太郎、台湾人の御父上は早稲田大学出身と、非常に日本との縁の深い出自といえます。
 挨拶のなかで、交流協会から、台中に暮らす御母堂へも祝賀レセプションの招待状が届いたことに言及。残念ながら高齢のため出席できませんが、御母堂も大変光栄に感じていたということです。
 また、レセプション開始前には王金平・立法院長も駆けつけましたが、樽井大使にお祝いの言葉を述べ、公務のため先に退出されたことも披露されました。
 ほかに、祝辞は述べられませんでしたが、林永楽・外交部長(外務大臣に相当)も登壇されました。
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 その後、樽井大使の発声で乾杯。2時間におよぶ祝賀レセプションは盛況裡に終わりました。

 ↓廖了以・亜東関係協会会長と談笑する蔡焜燦先生
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 なお、祝賀レセプションに際し、本会からは、昨年11月に急逝された黄昭堂・台湾独立建国連盟主席に倣い「祝 天長節」と記した花をお贈りしています。
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by ritouki | 2012-12-12 22:55 | イベント

台湾から郵便投票

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 いよいよ16日の投票日が今週末に迫りました。
 台湾に暮らす日本人も、一定の手続きをしておけば投票が可能です。ただ、日本と台湾の間には残念ながら国交がないため、実質的に在外公館の役割を果たす交流協会でも投票ができません。そのため、私たちが権利を行使できるのは「郵便投票」のみとなります。

 台湾に限らず、海外で投票をしたい場合、その準備段階での手続きが少し面倒です。大雑把に説明すると、自分の住民票がある自治体に「海外への転出届」を提出します。すると、戸籍に「○○年○月○日、○○国へ転出」と記載され、住民票からは削除されます。
 その後、在住国の在外公館(台湾の場合は交流協会)に「居留届」を提出し、三ヶ月が経過すれば(三ヶ月以上の海外居住が確認できれば)、在外選挙人証の申請が可能となります。
 在外公館に申請書を提出すると、外務省を経由して元々の住民票が置かれていた自治体の選挙管理委員会に送られ、再び外務省→在外公館を経由して在外選挙人証が届きます。
 選挙が近づいてきたら、投票用紙申請用紙と在外選挙人証をもとの住民票が置かれた自治体の選挙管理委員会に送付すると、在外選挙用の投票用紙がEMSで送られてきます。

 今回の選挙は11月16日の解散、12月4日告示、12月16日投票という日程で、一見かなり余裕がありそうですが「投票用紙の請求→投票用紙送付→郵便投票」というプロセスがすべて郵便で行われるため、油断していると投票が間に合わなくなる可能性があります。
 私の手元に投票用紙が届いたのは今日。投票日の午後8時までに郵便が届けば投票を受け付けてもらえるので、明日、航空便で投函すれば間に合うでしょう。

 送付されてきた郵便投票の「セット」は、投票用紙、内封筒、外封筒がそれぞれ小選挙区と比例用の2種類ずつ、そして送付用封筒です。記入した投票用紙は内封筒に入れ、さらに外封筒に入れて署名、そして送付用封筒で発送します。投票所での投票とは異なりますが、投票の権利を行使する厳粛な気持ちになります。

 ちなみに台湾では、不在者投票も郵便投票の制度もありません。今まで何度となく議論の俎上に載せられてきましたが、毎回いつの間にか尻すぼみになるのが常です。国○党の不正を警戒する民意の反対が多いことが要因の一つ、というのはあながち間違ってはないでしょう。
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by ritouki | 2012-12-10 23:45 | イベント
 デビューしてちょうど10年の一青窈。歌手としての実力もさることながら、台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフということで、台湾でも高い人気を誇っています。

 今夜は台北市内の華山創意文化園区内にあるライブハウス「Legacy Taipei」でライブ。500人あまりの客席はほぼ満席で1時間ほどのライブを行いました。
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 ライブは「月天心」でスタート。その後「喝采」や「赤い風船」「時代」など、昭和歌謡のカバーを披露。MCはほとんど中国語で話していました。アンコールではデビュー曲としてヒットした「もらい泣き」と代表曲の「ハナミズキ」でした。「ハナミズキ」は、今からちょうど100年前の1912年、ときの尾崎行雄・東京市長がワシントンDCのポトマック河畔に桜の苗木を送ったお返しに、米国から贈られたハナミズキをモチーフにして描き上げた曲なんだとか。だから歌詞に「君と好きな人が 百年続きますように」との想いが込められているんですね。

 本会も毎年桜の苗木を台湾に贈る「桜募金」を2006年(平成18年)から続けています。いつか台湾の桜の木の下でお花見ができることを願って、そして日本と台湾の良き関係が百年と言わず、とこしえに続きますように、との願いを込めています。

 ちなみに一青窈は「台湾五大名家」のひとつに数えられる「基隆顔家」の出身。一青窈の曽祖父にあたる顏雲年が、日本時代の九份で炭鉱を経営したことで財を成し、その礎を築きました。顔雲年は台湾総督府の評議員も務める名士としてその名を馳せました。
 戦後は「台陽鉱業」として石炭のみならず、多角的経営に乗り出したことで顔家はますます発展し「板橋林家」「霧峰林家」「鹿港辜家」「高雄陳家」と並んで「台湾五家」と称されました。
 一青窈の父にあたる顔恵民は学習院中等部を経て早稲田を卒業。その後、日本人女性と結ばれ、二人の娘をもうけますが若くして急逝しています。一青というのは母方の姓で、石川県にある名字だそうです。台湾との縁深き歌手ですのでこれからも応援したいところです。
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by ritouki | 2012-12-08 23:59 | イベント
 昨日の台北は、一週間以上降ったり止んだりだった空が久々に晴れ上がり、気持ちのいい天気になりました。しかし、一夜明けたらまた雨模様で更なる冷え込み、気温は15度前後と、南国台湾にも本格的な冬が訪れています。

 今日は、事務局スタッフで新婚のMさんが、ご主人の御母堂と伯母上を連れて来台。大好きな台湾へぜひ連れて行ってあげたいと思っていたものの、仕事が忙しくてなかなか連休がとれないご主人がMさんに託したとのこと。

 記念すべき初台湾の晩餐は蔡焜燦先生ご夫妻のご招待にて。おなじみ国賓飯店のテーブルを囲み、いつもながらの丁々発止。蔡先生の口から飛び出す様々なお話しに目を丸くされていました。12月に入り、急激に冷え込み始めた台北ですが、蔡先生もおばあちゃんも健啖ぶりを発揮していただき安心しました。予報によると明日はもっと気温が下がるとか、お身体ご自愛下さい。
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by ritouki | 2012-12-08 23:55 | イベント