台北事務所の活動をお伝えします


by ritouki

<   2013年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

九段の杜へ

 ビザ申請を終え、受領するまでの空き時間で九段へ。昨年2月に訪れて依頼ですから一年ぶりです。

 先週降ったという雪がまだ参道にところどころ残っていましたが、今日の東京は穏やかな天気で、むしろコートいらず。マフラーをしていると暑いくらいです。

 平日昼間とはいえ、境内はお参りする人々の姿は絶えず、首都東京の真ん中にありながら、静謐で厳かな佇まいを見せています。

 日本の彌栄と日台の良好な関係を祈願しました。
b0199170_20581878.jpg

[PR]
by ritouki | 2013-01-21 14:59 | イベント

つかの間の帰国

 ビザ切り替えの関係で東京へ戻ってきています。完成したスカイツリーの悠然たる姿を初めて肉眼で見ることが出来ました。建設途中の姿は見たことがありますが、やはり完成してライトアップしたスカイツリーは美しいですね。きっと台湾からもたくさんの観光客を迎えていることでしょう。
b0199170_20545124.jpg

[PR]
by ritouki | 2013-01-20 21:55 | イベント
 今日は春のようなうららかな日和のなか、悲しいお別れの日でした。

 「美しい日本語を守る会」として、今や日台交流の代名詞にもなった友愛グループを創設した陳絢暉会長の告別式が午前、台北市内で行われました。

 式には、友愛グループはもちろんのこと、日本と台湾に跨って活躍された陳会長の人柄を偲ばせるように、多くの参列者の列が長く続きました。

 式後、参列者は近くの喫茶店に立ち寄り、生前の陳会長の思い出を語り合って故人を偲び散会しました。
b0199170_214537.jpg

[PR]
by ritouki | 2013-01-19 21:02 | イベント

大使公邸晩餐会へ

 今夜はなかなか出来ない経験をさせていただきました。

 昨年秋に、瑞宝双光章を叙勲された林さんのお取り計らいで、大使公邸(交流協会台北事務所代表公邸)で開かれたお祝いの晩餐会にお招きいただいたのです。またとない折角の機会ですので、喜んで出席させていただきました。
b0199170_2048990.jpg

 公邸は陽明山の中腹。窓からは台北市内の夜景を望むことができます。厳かな雰囲気で始まった晩餐会は、公邸お抱えのシェフによるフレンチ。お祝いの席ということで終始和やかな雰囲気で、大使ご夫妻からも楽しいお話しをたくさん伺えました。

 晩餐会を終え、外に出ると、日中は暖かかったものの、やはり山の中腹なので少し冷気が身にしみました。望んでもなかなか叶うことではない機会を下さったのも、本当に私が人の縁に恵まれているからこそ、と改めて感謝せずんはいられません。
b0199170_2048278.jpg

[PR]
by ritouki | 2013-01-18 23:47 | イベント
b0199170_2164746.jpg

 李登輝元総統のお誕生日は1月15日で、あと5日もすれば90歳を迎えることになります。

 ただ、総統ご自身は新暦ではなく農暦(旧暦)で祝うことを習慣にされているようで、これまで農暦の11月29日を誕生日として祝ってきたそうです。今年の農暦11月29日にあたるのが本日で、農暦で数えると92歳を迎られます。

 誕生日に際し、総統からは「寿桃」が配られ、私もご縁あってお相伴にあずかりました。「寿桃」とは、中華圏の風習で、誕生日を迎えた人が配る、桃をかたどったお祝いの饅頭のことです。
 その昔、仙境といわれた崑崙山には不老長寿の桃があり、3000年に一度しか実をつけなかったとか。そして、崑崙山の主人である西王母が、この桃が実ったのを祝って祝宴を開いたという故事から「寿桃」が生まれたようです。

 とはいえ、現実の台湾社会は折りからの不況と、馬英九政権の迷走で決して景気のいい話ばかりではありません。聯合晩報の報道によれば、李登輝元総統は「苦しい国民の生活を思えば誕生日を祝う気にはならない」と話しており、祝宴も開かないということです。
[PR]
by ritouki | 2013-01-10 02:30 | イベント
 今朝の産経新聞朝刊に掲載された「旧制高校 寮歌物語(22) 日台の懸け橋となった同窓の誼」。

 この連載は今回が22回目ですが、満を持して、台北高等学校OBである李登輝元総統の登場です。
 昨年11月28日、本会の仲介により、産経新聞文化部の喜多由浩編集委員らによるインタビューが淡水のオフィスで行われました。
 紙面には本会が提供した2007年6月訪日の際、東京のホテルオークラで開かれた晩餐会での写真も掲載されています。
b0199170_4562484.jpg

 ◆校歌の一節をスピーチに

 台北高等学校(旧制)の同窓会は、東京と台北にある。昨年10月、日台双方の卒業生ら約80人が台北に集まり、台北高の創立90周年を祝う記念大会が行われた。日本から出席した元最高裁判事、園部逸夫(いつお)(1929年~、台北高・四高-京大)によれば、「みんなで一緒に校歌や寮歌を歌い、大いに盛り上がった」という。

 園部と同じテーブルに、台湾の元総統、李登輝がいた。終戦の年(昭和20年)に台北高校へ入学した園部から見れば4期上の先輩に当たる。スピーチに立った李登輝は、20年前の70周年のときと同じように、高等科設置時の校長・三沢糾(ただす)(1878~1942年)が作詞した第一校歌『獅子山頭に雲みだれ』の4番の歌詞を引用した。
 ≪ああ純真の意気を負ふ 青春の日は暮れやすく 一たび去ってかへらぬを など君起(た)ちて舞はざるや いざ手を取りて歌はなむ 生の歓喜を高らかに≫

 そして、こう呼びかけた。「第一校歌のこの一段を繰り返し、われらの古き関係を新たにしつつ、日台の心と心の絆を築いていきましょう。(中略)そしてさらに母校-台北高の『自由と自治』の素晴らしい伝統を永遠に伝えてゆくことを心から願うものであります」

 台湾に、近代教育制度を根付かせたのは日本である。公学校(小学校)、中学校、実業学校。そして、台北高、台北帝国大学をつくり、台湾人にも高等教育を受ける機会が開かれた。ただし、それは極めつきの「狭き門」であった。

 台北高の定員(高等科)は文科、理科2クラスずつ(1クラスの定員は40人)の計160人。李登輝の記憶によれば、このうち台湾人は、文科のクラスでは4、5人。最も多い理科乙類(医師を目指すコース)でも十数人しかいない。入学試験には台湾中の秀才が集まり、しのぎを削ったのである。

 「ボクは11歳のとき、父に小学館の児童百科事典を買ってもらい、それを朝から読んでいるような子供だった。知識が豊富で我(が)が強く、学校の友達では相手にならない。古事記や源氏物語も中学のときに読んでしまっていたから(台北高の)入試の国文・漢文は百点。先生もビックリしたそうだよ」

 ◆厳しく愛情にみちた時間

 李登輝にとって、台北高での学生生活は「厳しくとも愛情に満ちた時間」であった。

 多くの旧制高校の生徒がそうであったように、猛烈な勢いで古今東西の古典を読破し、先哲との対話によって思索にふけり自分の内面と向き合った。「死」とは何か、「人生」とは、「李登輝」とは…。

 中でも、人生において大きな影響を受けた本が3つある。トマス・カーライルの『衣裳(いしょう)哲学』、ゲーテの『ファウスト』、倉田百三の『出家とその弟子』。そしてその先には、新渡戸稲造の『武士道-日本の魂』との出合いがあった。新渡戸に強く惹(ひ)かれた李登輝は、やがて、彼と同じく農業経済学を志すことになる。

 「高等学校では他ではできない勉強ができたように思う。自分の内面と向き合い、自分の心を客観的に取り出す。それは、その後のボクの人生の糧になるような『人間を作り上げる』最初の時間だったんだ。先生方も一流ぞろいだったね」

 こうした濃厚な時間を共に過ごした台北高の恩師や仲間たちは李登輝にとって特別な存在だ。平成19年に来日し東京都内で歓迎の会が開かれたときには、東京の同窓会「蕉葉(しょうよう)会」のメンバーが壇上で歌う『獅子山頭に雲みだれ』の輪に突然、李登輝が加わるハプニングがあった。「仲間意識は強いね。会うとたちまち“昔のまま”に戻ってしまうんだよ」

 90周年の記念大会ではこんなことも語っている。台北高時代には日台のクラスメートの間に民族的な微妙な心理が存在していたものの自由、自治の学風によって、こうした矛盾を超越して学校生活を送ったこと。「あの時に確立した誼(よしみ)はその後も絶えることなく続き、今日の台湾と日本の交流の懸け橋になっております」と。

 ◆「リーダー」がいない日本

 旧制高校のように人間形成を重視した教育や武士道精神に基づく道徳心…。李登輝は、かつて身をもって体験した「日本の教育」や「日本の精神」を高く評価している。それは今も変わっていないのだろうか。

 「東日本大震災の日本人の態度には、世界中の人々が頭を下げました。混乱の中でも秩序を守り、互いに思いやる心を忘れなかった。今の若い人たちの中にもこうした『日本精神』を持っている人たちがいる。ただね、今の日本には『リーダー』がいない。20年近くもデフレが続き、その間に10人以上の首相が代わった。安倍さん(晋三首相)も古い自民党の体質に縛られてしまうとダメですよ」
李登輝は、国のリーダーは2つのことだけを考えていればいい、と思う。『国家』と『国民』のために奮闘することだ。「個」の利益ではなく「公」の利益のために行動し、高い精神性と大局観を持った人物だ。

 「戦争が終わって、アメリカは日本の軍閥を潰し、財閥を潰し、そして学閥を潰した。つまり、旧制高校-帝国大学というリーダーを養成する制度です。リーダーを養成する教育システムは、アメリカにもイギリスにもある。1つ2つでいい。国のリーダー養成を専門に行う学校を作っておくべきだろう」

 李登輝は、かつての旧制高校を復活させよ、と主張しているのではない。その精神を生かしながら別な形でリーダーを作り上げる学校を設ける。一般の学校ではやらないようなカリキュラム、たとえば軍事関係を勉強したり訓練を課したり。もちろん幅広い教養やスポーツも身に付けさせる学校だ。
台湾ではいま、日本の旧制高校の教育や精神を見直す機運が出てきている。それは李登輝にとってもうれしいことだ。日本から修学旅行の高校生が来ると、「日本の良さ」や「かつて台湾で日本がやった仕事」について教えることにしている。日本の学校では、ほとんど教えないことだから、高校生たちはビックリするという。

 「今の日本の教育は、自虐的で日本の良さを教えていない。歴史は歴史、ありのままでいい。いい悪いではないんだよ」
 =文中敬称略(台湾・淡水で 文化部編集委員 喜多由浩)

 ◇台北高等学校(旧制)
 1922(大正11)年、日本統治下の台湾・台北に、外地の高等学校としては初めて設立された。7年制(尋常科4年、高等科3年)で、台湾人生徒は全体の約2割、医学部進学を目指す理科乙類に多かった。終戦にともなって台北高は廃校となり、台北高級中学に改称。校舎は現在、台湾師範大学となっている。主な出身者に、作家の邱永漢、大原一三元農水相、小田滋元国際司法裁判所判事など。外地の旧制高校はほかに旅順高(関東州)があっただけ。
[PR]
by ritouki | 2013-01-06 23:47 | イベント
 あけましておめでとうございます。本年も日台共栄のため、皆さまのお力添えをよろしくお願い申し上げます。

 昨夜は、台湾ではもはや恒例の風物詩となった台北101ビルの花火を見に行ってきました。数年前、文字通り101ビルの足元で見た花火は豪快で感動的でさえありましたが、「祭りのあと」にはバスにも乗れず、MRTにも乗れず、タクシーも捕まらず、数時間歩いて帰る羽目になりました。

 近くで見る花火は確かにダイナミックでしたが、トイレも食べるものもすべて行列という記憶も相まってか、それ以来近くで見ることはなく、友人のマンションの屋上や大安森林公園など、少し距離のある場所から見るようになっています。

 今年もやはり大晦日はゆっくり過ごしたいと、少し遅めの食事の後、タクシーで出来る限り台北101ビルの近くへ。交通管制も毎年恒例のためか、それほど渋滞しておらず、京華城デパートのそばから花火を楽しみました。ただ、昨年までのようなドッカーンと飛び出すような花火がなく、ちょっと迫力に欠けたかな、という感じがしました。

 台湾は旧暦で動く社会のため、実はこれからがむしろ「尾牙」つまり忘年会のシーズンとなり、2月9日の除夕(旧暦の大晦日)まで師走の慌ただしさを迎えることになります。

 ともあれ、新年を迎え、新たなスタートです。
 早速ですが、お知らせです。1月19日にまどか出版から『日本人、台湾を拓く。許文龍氏と胸像の物語』が出版されます。

 日本時代、台湾に貢献した名も無き日本人の功績を顕彰するため、胸像を制作した許文龍氏のエピソードと、胸像となった日本人の物語です。
b0199170_15153837.jpg

 台湾近代化の父・後藤新平
 糖業を発展させた・新渡戸稲造
 近代水道を敷設した・浜野弥四郎
 環境型ダムを生んだ・鳥居信平
 烏山頭ダムを築いた・八田與一
 蓬莱米を作った磯永吉と末永仁
 電力利用を広げた・松木幹一郎
 台湾紅茶を育てた・新井耕吉郎
 古都・台南を守った市長・羽鳥又男

 僭越ながら、このなかの「蓬莱米を作った磯永吉と末永仁」を私が担当させていただいています。

 年頭にあたり、共著ながら新刊上梓のお知らせでスタートが切れることは大変幸せです。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                            平成25年元旦 弥栄
[PR]
by ritouki | 2013-01-01 04:15 | イベント