国民党による白色テロによって台湾東部の緑島(日本時代の呼び名は火焼島)にある政治犯収容所送りになった人々が集まり、緑島の人権記念公園の整備や記録の収集などの活動を行っています。
本来は2ヵ月に一度、100人以上いるメンバーのうち出席出来る方が集まり、誕生祝いなどして交流を行っているそうです。今回は、沖縄からひめゆり平和祈念資料館や沖縄県平和祈念資料館の方々が来台されているということで、特別に開かれた会へ同席させていただいたのです。
ところが、緑島の視察へ行かれた沖縄からのゲストの方が、台風の影響で足止めされ、台北へ戻れなくなってしまうハプニング。幸か不幸か、少人数で皆さんのお話をじっくりと伺うことが出来ました。
同じテーブルでお話を伺った方々は、皆さんそれぞれ国民党の暴政によって被害を受けています。「共産主義者」のレッテルを貼られ、お父上を国民党に銃殺されていたり、読者会に参加した咎でやはり緑島へ15年ぶち込まれたり。もちろん裁判などなしです。こうした方々に共通しているのは、日本時代の「知識分子」だということ。実際、お医者さんであったりエンジニアであったり、日本時代に高等教育を受け、本来ならば台湾の将来を担っていくはずの人材だったということです。ただ皮肉にも、それによって却って国民党から白眼視される原因となり、白色テロの標的とされることとなったのです。
メンバーの皆さんからは異口同音に「日本時代、確かに差別もあったし、台湾が植民地であったのは間違いない。しかし、何よりも日本が与えてくれた教育というものは本当に素晴らしいものだった」と伺いました。日本ではまだまだ、日本が台湾を放棄した後に台湾人が舐めた辛酸である228事件や白色テロについて知っている人は多くありません。
中には、国民党の悪行を後世に残すため、記録集や自伝を書かれている方も数多くいます。同席した呉聲潤さんからもそうした手記をいただきました(呉さんは上の画像左)。
今後は、日本李登輝学校台湾研修団などで、メンバーの方々の体験を伺う機会を設けていきたいと考えています。