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台北在住の筆者(早川友久)が、台北に残された日本統治時代の古蹟や遺構をはじめ、台湾に関わる記事を掲載します。


by ritouki

「蓬莱米の父と母」の原稿、書き終えました

 今年3月末のこと。
 以前、お世話になった学習院女子大学の名誉教授、久保田信之先生が主宰する「修学院」が台湾へ研修に行くので、その一環として台湾大学の見学をしたいとの要望がありました。先生のご希望は、台湾大学のキャンパスを見学した後、日本語学科の学生たちと意見交換などの交流を行いたかったのですが、ちょうど日本語学科ではイベントを控えている時期でなかなか学生たちの時間が取れません。
 そこで、台湾の学生たちとの交流に代わるものを考えなければなりません。そこでピンと来たのが「磯永吉と末永仁」の銅像が設置されたという報道です。
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 磯と末永は日本時代の農業研究者・技術者で、それまで在来種とよばれるインディカ米しかなかった台湾で品種改良を続け、美味しくて高く売れるジャポニカ種の「蓬莱米」を完成させたのです。その二人の胸像が台湾大学に設置されたとのことで、胸像製作には、日本時代の台湾に貢献をした日本人の胸像をポケットマネーで数多く作っている許文龍さんも関係しているそうです。

 そこで、調べてみると、農業園芸学部の「育種準備室」に置かれていることがわかりました。この建物は1925年に台北高等農林学校の校舎として建てられ、すでに80年以上が経過しています。台湾大学の前身、台北帝国大学の創立が1928年なので、それ以前に当時富田町と呼ばれたこの場所に建っていたことになります。台北高等農林学校はその後、台北帝大附属農林專門学部となり、1943年には分離して今日の中興大学の前身となりました。この建物は現在、学生たちから「磯小屋」と呼ばれて親しまれています。

 実はこの「磯小屋」、残念ながら一般には公開されておらず、自由に銅像を見ることができません。農業経済系に学ぶ後輩と一緒に探しまわり、やっとのことで管理者を発見。翌週の研修の際に開けて見せてもらえるように依頼しました。
 ※現在では毎週水・土・日に一般公開されています。詳細はHPを。

 磯小屋の周りは、台北の真ん中とは思えないのどかな実験田ですが、向こう側には台北101が見えています。磯小屋は今でこそ台北市の古跡に指定されていますが、それまでは台大の中でも撤去か保存かの議題が俎上に上ったことが何度もあったそうです。

 現在、台大では保存の方向で意見が統一されているようですが、いかんせん予算がついておらず、中に置かれている銅像も「仮設置」の状態だとか。将来的にはかなり老朽化の進んだ磯小屋内部を整理し、磯や末永の功績を展示するスペースを整備していく予定だそうです。
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 そんなことがきっかけで、多少、磯や末永の功績について勉強したのですが、たまたまそれを伝え聞いた日本の出版社から二人の功績について書いてみないかという光栄な依頼をいただきました。
 台湾大学の図書館では、日本で調べようと思ったら大変な手間がかかるだろうとおもわれる資料が簡単に手に入ります。これは、まさに台湾にいるゆえの特権かもしれません。磯や末永が数多く研究結果を発表した『台湾農事報』などもほとんどが保管されています。明治期に発行された号も画像の通り。だいぶ痛んではいますが閲覧には支障ありません。日本時代に残された資料にいとも簡単にアクセスできる、台湾にいることの幸せを感じた原稿執筆でした。
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by ritouki | 2012-05-31 22:13 | イベント