日台人権交流 緑島へ 2日目その2
2011年 08月 26日


緑島は日本時代「火焼島」と呼ばれ、1911年には「火焼島浮浪者収容所」が設置されました。戦後、緑島と名前が変わり、政治犯を収容する監獄として数多くの悲しい物語を生む島となりました。李登輝総統による民主化推進により、1992年に最後の政治犯・王幸男氏(現民進党立法委員)が釈放されたことで台湾から政治犯が存在しなくなると、緑島は夏の観光地へと変貌を遂げました。
しかし、国民党による白色テロの恐怖を後世に伝えるため、島では人権記念パークの整備や、当時の監獄の保存展示が積極的に進められています。
そして、その役割を担っているのが、今回私を誘ってくれた曹欽栄さんなのです。

続いて一行は緑洲山荘へ。「山荘」というと聞こえは良いのですが、公式名称は「緑島感訓監獄」です。周囲を高い塀で囲まれ、十字型に配置された監獄は、中央からすべての監獄を監視しやすいように配置されています。また、政治犯収容所には常のスローガンがところどころに書かれています。
監獄には収容者の罪状や従順度合いによって、異なる獄へと繋がれていましたが、現在ではすべての監獄が見学可能です。また、当時の監獄の様子や歴史を伝える展示があります。




