「蘇澳温泉・蘇澳冷泉祭り・サヨンの鐘の地をめぐる」宜蘭ツアー4日目
2012年 07月 16日
ツアー最終日。南澳郷武塔村を後にして無人駅の台鉄武塔駅から乗車。途中、蘇澳新駅で乗り換えれば台北までは2時間弱です。
午後はフリータイム。同行していただいた竹中信子さんと、やはり日本時代の蘭陽高女出身で竹中さんの先輩にあたる山浦幸子さんを龍山寺にご案内。その後、名物のマンゴーかき氷を楽しみ、華西街夜市を散策してホテルへ戻りました。
夜は6時から台北市内のレストラン「呂桑食堂」で、阮美姝さんご招待による晩餐会。台北から合流したメンバーも加わり、その後は阮さんのご自宅へお邪魔して阮さんの白色テロ体験を伺うことになりました。
結婚式を挙げた数日後、自宅を訪れた官憲が体調不良で臥せっていたお父上の阮朝日氏(台湾新生報社長)を連行。そのままお父上が帰宅することはありませんでした。お父上は囚われているだけだと信じ続け、何度も警備総司令部に問い合わせても「そのような人はいない」という虚しい回答が届くのみ。それどころか「必要ならば軍を出動させてお父上を探してあげよう」という甘言で籠絡しようとしたとか。
十数年後、日本で王育徳氏が書いた『台湾 その苦悶する歴史』を手にとった阮さんは、そこに「阮朝日氏は連行されて間もなく銃殺された」との記述を発見し、初めて父が処刑されたことを知ります。
その後、白色テロで被害にあった人々や、突然家族を失った人たちを訪ね歩き、聞き書きをすることで真相解明を数十年続けてきました。
白色テロが終息し、台湾の人々が自由にものを言えるのようになるのはずっと後、李登輝総統の登場を待たなくてはならなかったのは周知のとおりです。
228事件や白色テロの真相解明は李登輝総統から陳水扁総統の時代まで続きましたが、詳しい部分についてはまだまだ判明していないというのが実際のところです。
年々少なくなる白色テロの被害者たち。それに反比例して、台湾の歴史を知らない若い世代も増えています。日本が戦後の復興と高度経済成長を享受していた頃、かつて歴史をともにした台湾がこのような状況に陥っていたことはほとんど知られていませんでした。
もう時間がたっぷり残されているわけではありませんが、こうした人たちの声を少しでも多く集めていきたいと思います。