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台北在住の筆者(早川友久)が、台北に残された日本統治時代の古蹟や遺構をはじめ、台湾に関わる記事を掲載します。


by ritouki

日本時代からの絆は今も

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 今回のツアーには、日本時代の宜蘭地方で名門女子高と呼ばれた「台北州立蘭陽高等女子学校」出身の竹中信子さんともうひとり、やはり蘭陽高女出身の山浦幸子さんにも加わっていただいています(写真右)。山浦さんは蘭陽高女での竹中さんの先輩にあたります。ツアー途中の何気ない会話で判明したのは、山浦さんの出身はなんと私と同じ栃木県足利市。世間というのは狭いもので、悪いことは出来ません。

 山浦さんは6歳の時、お父上が台湾総督府へ勤めることになり渡台。その後、台湾をわが故郷として暮らしていましたが、日本が大東亜戦争に敗れたことで日本内地へ引き揚げざるをえませんでした。敗戦の翌年1月か2月ごろ、御兄上がスマトラに出征していた関係で優先的に引き揚げ船に乗船出来たそうですが、今回、蘇澳の街を訪れたのは実にそれ以来、67年ぶりのことでした。
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 戦後、何度か台湾へ遊びに来る機会があり、その際にはいつも蘭陽高女の友人たちが色々と世話をしてくれたそうですが、南部などへの旅が多く、結局はこれまで「故郷」の蘇澳を訪れずじまい。今回やっと念願が叶い、幼少時代から青春までを過ごした懐かしの地を訪れることが出来ました。

 山浦さんは息子さんとお孫さんの3人で参加。竹中さんから今回の旅を誘われたとき、足が悪いこともあって「ちょっと無理かなぁ」と思い、断念しようとしていたところ、お孫さんから「ばあちゃん、オレがついてくから行こうよ」と言われたのだとか。そして「お前(孫)が行くならオレも行く」と息子さんにも言われ、お嫁さんにも「行ける時に無理してでも行ったほうがいい」と背中を押されたことで台湾行きを決心したそうです。

 戦後初めて訪れた母校の蘭陽高女は現在国立蘭陽女子高級中学と名を変え、当時の校舎も周囲の風景も一変していましたが、再訪したときには泣けて泣けてしかたがなかったとか。昔懐かしい仲間たちとも再会を果たし、時間は一気に日本時代へとタイムスリップ。女学生時代に戻ったかのようにおしゃべりは尽きません。時にはおでこを突き合わせてナイショ話?まさに出発直前のその瞬間まで皆さん肩を抱き、手を取り合って別離を惜しんでいました。
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 いくら時は経てども、若き日々の絆は今も変わらず。「湾生」という言葉は、日本時代の台湾で生まれ育った人を指す言葉ですが、この言葉ひとつでは決して形容できない人生模様がひとつひとつ存在することを感じました。

 山浦さん曰く「最後に蘇澳に来られたからもう思い残すことはない」なんて物騒なことを言っていましたが、まだまだ元気元気。来年もぜひ台湾へいらっしゃるのをお待ちしています。
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by ritouki | 2012-07-17 23:40 | イベント