台湾点描「228事件発生地点」
2012年 08月 02日

ここは南京西路189号あたり。日本時代は円公園と呼ばれた「圓環(=寧夏夜市)」の近くです。淡水河に近く、古きよき台北の名残を残す下町エリアとして知られていますが、その街角にある石碑が建てられています。

日本時代末期、この地域が太平町と呼ばれていた頃、ここに「天馬茶房」という名の、今でいうカフェが開店しました。店主は詹天馬という、無声映画の弁士をしていた人物でした。1930年ごろの『台湾日日新報』には映画の告知とともに「弁士は詹天馬」という記載があるくらいですから、当時すでに名が知れていたようです。

日本時代が終わりを告げて間もない1947年2月27日、この天馬茶房の店の前である事件が勃発します。戦後の生活苦を闇タバコの販売で凌いでいた女性に対する過度の取り締まりや暴力に対し丸腰の民衆が抗議したところ、国民党の官憲が発砲して死傷者が出ました。この事件が導火線となり、翌28日、国民党占領軍の腐敗とデタラメさに充満していた民衆の怒りが爆発しました。228事件の勃発です。

そしてこの日から、国民党の台湾人に対する更なる弾圧と徹底的な監視社会の形成が行われるとともに、台湾社会には白色恐怖の嵐が吹き荒れ、文字通り台湾人にとっては暗黒の時代が訪れます。この暗い社会に光が差し込むには、実に三十数年後、李登輝総統の出現を待たなくてはなりませんでした。
天馬茶房はその後廃業。現在では建物も老朽化のために撤去され残っていません。228事件の記念碑は南京西路183号近く、「城市商旅」ホテルのすぐ隣りにあります。

上の天馬茶房広告は1946年7月23日付の民報夕刊から。下は1946年11月30日付の民報から。

